七福神の顔ぶれを思い浮かべてください。
大黒天、毘沙門天、弁才天。
この3人は、もともとインドの神さまです。仏教とは別の宗教、ヒンドゥー教の神でした。
お寺で拝んでいる相手が、実は「よその宗教の神さま」だった。
このねじれを解く鍵が、仏像の階層のいちばん下、「天部(てんぶ)」にあります。
仏像のいちばん下の階層「天」は、実は仏教の神ではない
仏像には4つの階層があります。
| 階層 | どんな存在か | 例 |
|---|---|---|
| 如来 | 悟りを開いた最上位 | 釈迦如来、阿弥陀如来 |
| 菩薩 | 悟りを目指し、人を救う | 観音菩薩、地蔵菩薩 |
| 明王 | 怒った顔で人を導く | 不動明王 |
| 天 | 仏教を守る守護神 | 大黒天、弁才天、帝釈天 |
上の3つは仏教の中から生まれた存在です。
ところがいちばん下の「天」だけは、外から来ています。
仏教が生まれたのはインド。そのインドには、仏教より前から大勢の神さまがいました。
仏教はその神々を否定せず、まるごと部下として引き取ったのです。
インドの言葉で神を「デーヴァ」といいます。これを中国で漢字にしたのが「天」。
名前の最後に「〜天」がつく仏像は、ほぼ全部がインド出身だと思ってください。
ここが天部のいちばん大事なところです。
天部=仏教に転職したインドの神々
だから天部だけは、怒ったり笑ったり、武器を持ったり、夫婦だったりと、やたら人間くさい。
悟った存在ではなく、神さまだからです。
ただし「〜天」がつかない天部もいます
このルールは一方通行です。
「〜天」がつけば天部。でも、天部が全部「〜天」ではない。
名前に「天」がつかない天部の代表がこちらです。
| 日本の名前 | インドでの名前 |
|---|---|
| 金剛力士(仁王) | ヴァジュラパーニ(執金剛神) |
| 阿修羅 | アスラ |
| 閻魔 | ヤマ |
| 十二神将 | ヤクシャ(夜叉) |
お寺の門で睨んでいる仁王も、分類上は天部です。
持っている金剛杵は、もともと帝釈天(インドラ)の雷の武器でした。
ただし仁王だけは、中身と外見の出身地が違います。
系譜はインドですが、あの筋肉質な姿はギリシャのヘラクレスから来ています。
その話は別記事にまとめました。
対応表──インドの神が日本でどう名前を変えたか
主だった顔ぶれを並べます。
| 日本の名前 | インドでの名前 | 元の姿 |
|---|---|---|
| 帝釈天 | インドラ | 雷を武器にする、神々の王 |
| 梵天 | ブラフマー | 宇宙を創った最高神 |
| 弁才天 | サラスヴァティー | 川の女神 |
| 大黒天 | マハーカーラ | シヴァの化身。「大いなる黒」 |
| 吉祥天 | ラクシュミー | 富と美の女神 |
| 毘沙門天 | クベーラ | 財宝を守る神 |
| 閻魔 | ヤマ | 最初に死んだ人間 |
| 韋駄天 | スカンダ | 足の速い軍神 |
| 歓喜天 | ガネーシャ | 象の頭を持つ神 |
| 阿修羅 | アスラ | 神々と戦い続けた存在 |
見覚えのある言葉が、いくつも混じっていませんか。
「韋駄天走り」は、韋駄天がとにかく足の速い神だったから。
釈迦の遺骨を盗んだ鬼を、走って追いかけて取り返したという話が元です。
「修羅場」は阿修羅から。
阿修羅は帝釈天(インドラ)と延々と戦い続けた存在で、その戦場が修羅場です。
──おもしろいのは、戦っていた両方が、そろって日本に来ていること。
奈良の興福寺には阿修羅像があり、京都の東寺には帝釈天像がある。敵同士が、別々のお寺で日本人に拝まれています。
弁才天が水辺にばかりいる理由
弁才天を祀る有名な場所を挙げてみます。
- 江の島(神奈川)── 海に浮かぶ島
- 竹生島(滋賀)── 琵琶湖に浮かぶ島
- 厳島(広島)── 海に浮かぶ島
- 井の頭池(東京)── 池のほとり
全部、水です。
理由は元の姿にあります。サラスヴァティーは、古代インドにあった聖なる川の名前でした。
川そのものが神格化された女神なのです。
川は水を運びます。水は作物を実らせる。だから豊かさの女神になりました。
そして川は流れる音を立てます。だから音楽と言葉の女神にもなりました。
弁才天が琵琶を抱えているのは、ここから来ています。
日本に来ても、水の性格だけは抜けなかった。
だから千年以上たっても、島や池のそばに祀られ続けているわけです。
なお「弁財天」と書くのは後世の当て字で、財宝の神と考えられるようになってからのもの。
本来は「弁才天」──才能の神です。
大黒天の大出世──破壊神が、なぜ米俵の上で笑っているのか
天部でいちばん劇的に変わったのが大黒天です。
元の名はマハーカーラ。「マハー=大きい」「カーラ=黒」で、大黒。訳ではなく、音と意味の両方を写した名前です。
その正体は、ヒンドゥー教の破壊神シヴァが怒りの姿になったもの。戦いと死をつかさどる、真っ黒で恐ろしい神でした。
それが日本では、ふくよかに笑って米俵の上に立ち、打ち出の小槌を振っています。
どこで入れ替わったのでしょうか。
道すじは2段階です。
第1段階:中国で台所の神になる
中国の寺院では、大黒天は厨房に祀られました。食べ物を守る神という役どころです。恐ろしさが、ここでかなり抜けます。
第2段階:日本で大国主と混ざる
日本には大国主命(おおくにぬしのみこと)という、国づくりの神がいました。
「大国」を訓読みではなく音で読むと──だいこく。
同じ読みだった。それだけの理由で、二つの神は一つになりました。
大国主は豊かさと縁結びの神です。こうして破壊神は、完全に福の神になりました。
袋を背負っているのは大国主が袋を担いだ神話から。米俵は豊作から。
インドの死の神が、日本の農業の神と合体した結果が、あの姿です。
七福神のうち、インド出身は大黒天・毘沙門天・弁才天の3人。
恵比寿だけが日本生まれで、布袋・福禄寿・寿老人は中国から。
たった7人の中に、3つの国の神が同居しています。
腕が何本もある理由──密教の造形はインドが源流
千手観音、阿修羅の三面六臂、不動明王の憤怒の顔。
仏像に慣れていないと、あのあたりでぎょっとします。
あれもインド由来です。
インドの神像では、腕の数がそのまま力の大きさを表します。
顔が複数あるのは、その神が持つ複数の性格を同時に見せるため。
慈悲の顔と怒りの顔を、一体の像に両方つける。写実ではなく、記号なのです。
この考え方をまるごと受け継いだのが密教でした。
8〜9世紀のインドで密教が発展し、それが中国へ渡り、空海が日本へ持ち帰った。
だから日本の密教の仏像は、多面多臂(ためんたひ)の姿をしています。
つまり、こういう流れです。
インドの神像の造形 → 密教が採用 → 中国 → 空海 → 日本
不動明王の怖い顔をたどっていくと、たどりつく先はインドの神々です。
東洋館の地下1階で「実家」を見る
東京国立博物館の東洋館、地下1階にインドの彫刻が並んでいます。
多くの人が素通りするフロアですが、天部を知ってから入ると景色が変わります。
そこにあるのは日本の天部の実家だからです。
見るポイントは3つ。
- 腕の多い像を探す ── 日本の密教の仏像と同じ発想でできています
- 顔の表情を比べる ── インドの神は日本の天部より、はるかに官能的で動きがあります
- 8〜12世紀の像を見る ── 密教が完成した時期のもの。空海が唐で受け取ったものの、さらに上流です
そのあと東洋館1階(中国の仏像)、本館1階(日本の仏像)と回れば、
インド → 中国 → 日本という顔の変化を、同じ日のうちに追いかけられます。
まとめ
- 仏像の4階層のうち、「天」だけが仏教の外から来た
- 天=デーヴァ。名前に「〜天」がつけばインド出身
- 弁才天は元が川の女神。だから今も水辺にいる
- 大黒天は元が破壊神。中国で台所へ、日本で大国主と合体して福の神へ
- 腕や顔が複数あるのはインドの造形。密教がそれを受け継いだ
天部を知ると、お寺めぐりが少し変わります。
「これは何天だろう」ではなく、「この神さまは、どこから来て、どう変わったんだろう」と見られるようになるからです。
千年以上かけて、名前を変え、姿を変え、性格まで変えてやってきた神々。
その旅路のいちばん端っこが、近所のお寺にいる、というわけです。
