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イ・バンウォン(太宗)が粛清した人物一覧!ドラマの裏にある時系列と粛清の理由

『六龍が飛ぶ』『太宗イ・バンウォン』などで、弟や功臣を次々に消していく太宗(テジョン)。史実でも、本当にここまで殺したの?

——答えは、全部、史実です。ただし彼は殺人狂ではなく、粛清のすべてに一本の筋が通っていました。この記事は、ドラマで浮かんだ?を史実で答え合わせする副読本です。

太宗の粛清には、たった 1つの目的 しかありません。
「強い王権を作り、次の代(世宗)に平和な国をそっくり渡すこと」。
生まれたての朝鮮は、いつ倒れてもおかしくない状態でした。だから太宗は、王権を脅かしうる存在
——強すぎる功臣・私兵(個人の軍隊)・外戚(妻や息子の妻の実家)——を、自分の代で先に片づけておこうとしたのです。

粛清は「3つのステージ」で見ると一目でわかる

  • 第1:建国期 … 高麗を守ろうとする政敵を排除
  • 第2:継承期 … 王位の主導権争い・異母弟の排除(第一次王子の乱)
  • 第3:即位〜上王期 … 外戚の権力集中を排除

【時系列】太宗が消した主要人物

人物太宗との関係消された理由
1392(建国期)鄭夢周(チョン・モンジュ)高麗随一の大学者/父の政敵新王朝樹立の最後の壁
1398(継承期)鄭道伝(チョン・ドジョン)建国の設計者「王より宰相」思想+私兵回収で激突
1398(継承期)李芳碩(イ・バンソク)
李芳蕃(イ・バンボン)
異母弟後継者争い
1410〜16(即位〜)閔氏(ミン氏)4兄弟妻の弟=外戚「王を立てた」慢心+次代への脅威
1418(上王期)沈温(シム・オン)世宗の義父優しい世宗が外戚に振り回される前に

【豆知識】
鄭夢周(チョン・モンジュ)は「東方性理学の祖」と呼ばれた大儒で、太宗が本当は味方に引き入れたかった相手でした。有名な歌の応酬「何如歌(バンウォン)/丹心歌(鄭夢周)」は、この二人の最後のやり取り。決裂の末、開城の善竹橋(ソンジュッキョ)で暗殺されます。

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【寄り道】「王子の乱」は1次と2次で別物——早わかり図解

表に出てくる第一次・第二次王子の乱は、同じ名前でも敵も理由もまったく別です。ここで整理しておきます。

第一次(1398年)第二次(1400年)
太宗の敵異母弟の陣営(設計者・鄭道伝+世子・芳碩)同母兄・芳幹+黒幕の朴苞
争いの芯世子の座(前妻の子 vs 後妻の子)兄弟どうしの主導権争い
きっかけ幼い芳碩が世子に。鄭道伝が私兵を回収しようとした朴苞が「芳遠がお前を殺す気だ」と芳幹を焚きつけ挙兵
結末太祖が退位。まず兄・芳果(定宗)が即位し、太宗は裏で実権太宗が世弟に。まもなく定宗が譲位して太宗が即位
処分の差異母弟は容赦なく殺害同母兄は流刑どまる(唆した朴苞は斬首)

※1次と2次のあいだにいる2代目・定宗(チョンジョン)は、ほぼこの2つの乱の中継ぎとして即位した王です。第一次で棚ぼた即位し、第二次のあと太宗に譲位する——それだけで在位が終わる、影の薄い存在。乱とセットで押さえると位置づけがすっきりします。

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ドラマ屈指の名場面、2つだけ深掘り

① 鄭道伝——「王権 vs 宰相権」の激突(1398・第一次王子の乱)
朝鮮という国の制度・法令・首都設計をすべて作り上げた天才政治家。ただし「王は象徴でよく、優秀な宰相が国を治めるべきだ」という思想の持ち主でした。「強い王権」を目指す太宗とは真っ向から対立。さらに鄭道伝が王子たちの私兵を回収しようとしたため、「武器を奪われれば殺される」と悟った太宗が先制攻撃を仕掛けます。

② 沈温——息子(世宗)のための最後の大掃除(1418)
太宗は世宗に位を譲ったあとも、軍権を握る「上王」として裏に控えました。優しい世宗が即位すると、義父・沈温のもとに自然と人が集まり始めます。「自分が死ねば、世宗は外戚に振り回される」と直感した太宗は、沈温が明へ使者として出張した隙に告発。帰国した沈温を自害に追い込み、世宗の手を一切汚さずに最後の敵を排除しました。

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「殺さなかった」人もいる

全員始末した印象になりますが、太宗が意図的に助けた相手もいます。

  • 同母兄・李芳幹(イ・バンガン) … 第二次王子の乱で反乱を起こすも、処刑せず流刑どまり。「同母の兄まで殺せば、私は人ではなくなる」と語り、流刑先へ生活費を送り続けました。異母弟は消し、同母兄は生かしたんですね。
  • 妻・元敬王后(閔氏) … 実家の弟4人を夫に殺され、夫婦仲は破綻。それでも太宗は、彼女の王妃の座だけは最後まで守らせました。

脇役だけど、話の裏で効いている4人

  • 1400年(第二次王子の乱):朴苞(パク・ポ) … 第二次王子の乱の真犯人。彼は第一次王子の乱で「二等功臣」だったことにに激怒。バンウォンの兄・芳幹をたきつけて挙兵させた。芳幹は流刑で済んだが、唆した朴苞は即斬首。
  • 1402年(趙思義の乱):趙思義(チョ・サウィ) … 息子に愛妻の子らを殺され引きこもった父・李成桂が、裏で操って起こさせた反乱の首謀者。「孝」と「王権」が正面衝突した最大の危機を、太宗は自ら出陣して鎮圧した。
  • 1404年(私兵の廃止):李居易(イ・ゴイ) … 私兵の廃止に最後まで抵抗した開国功臣。しかも太宗の娘の義父(近い親戚)。それでも改革の邪魔なら容赦なく流刑に。これで朝鮮の軍事権は完全に王のものに。
  • 1418年(太宗の上王時代):姜尚仁(カン・サンイン) … 軍事報告を上王・太宗に通さず、新王・世宗だけに上げた高官。拷問の末に処刑され、その供述が沈温粛清の引き金になった。

この冷徹な大掃除があったからこそ、息子・世宗は外戚に振り回されることなく、ハングル(訓民正音)の発明をはじめ数々の文化的偉業に専念できました。太宗が背負った悪役は、次の代の平和への地ならしだったーーそう思ってドラマを観ると、流れた血の意味が少し違って見えてきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵