1392年、高麗の武将イ・ソンゲが、新しい国・朝鮮を建てます。けれどこの王朝の土台は、平和にではなく——親子と兄弟が王座をめぐって血を流し合う中で固められていきました。その血みどろの土台の上に、なぜ世宗の、ハングルを生んだ黄金時代が花開いたのか。まずは下の系図で、4人の王のつながりをひと目でつかんでください。
系図
時代背景——血の争いが世宗の黄金時代を生んだ
① 高麗が滅び、朝鮮が生まれた(1392)
高麗の武将イ・ソンゲは、明への遠征の途中で軍を引き返し(威化島回軍・1388)、そのまま実権を握って1392年に朝鮮を建国します。
仏教で腐敗した高麗を捨て、新王朝は儒教(朱子学)を国の背骨に据えました。その青写真を描いたのが、建国の設計者チョン・ドジョン(鄭道傳)です。
② 王権 vs 宰相——王子の乱(1398・1400)
建国後、2人の実力者が「誰が国を動かすべきか」をめぐって真っ向から対立します。
| チョン・ドジョン(宰相主義) | 王は象徴でいい。賢い臣下たちが話し合って国を治めるべきだ。王ひとりに国の命運を預けるのは危険すぎる |
| イ・バンウォン(王権主義) | 王が強い力を持ち、国を引っ張るべきだ。臣下の話し合いなど、混乱を招くだけだ |
バンウォンは
- 第1次王子の乱(1398)でチョン・ドジョンと異母弟を粛清
- 第2次(1400)で同母兄・芳幹(懐安大君)を退け、
太宗として即位しました。
③ 外戚を断つ——元敬王后と閔氏の悲劇
太宗の即位を資金と人脈で支えたのは、王妃・元敬王后の実家=名門・閔氏でした。ところが太宗は即位するや、「妻の実家が強くなりすぎる」ことを恐れ、王妃の兄弟たちを粛清します。
④ 血の土台の上に、世宗の黄金時代へ
太宗は1418年、存命のうちに三男・世宗へ位を譲ります(生前譲位)。
力で固めた強い王権を土台に、世宗は集賢殿に学者を集め、身分を超えてチャン・ヨンシルを登用。1443年、ついにハングルが誕生します。
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タイムライン(時系列を追う)
| 1388年 | 威化島回軍 イ・ソンゲが明への遠征を中断し、高麗の実権を掌握 |
| 1392年 | 朝鮮王朝 建国 初代国王・太祖イ・ソンゲ即位。儒教を国の根幹に |
| 1398年 | 第1次王子の乱 イ・バンウォンがチョン・ドジョンと第2王妃の子たちを粛清。定宗が即位 |
| 1400年 | 第2次王子の乱 太宗が同母兄・懐安大君(芳幹)を破り実権掌握 |
| 1400年代前半 | 閔氏一族の粛清 太宗が外戚の強大化を恐れ、元敬王后の兄弟2人を処刑 |
| 1418年 | 生前譲位 太宗が三男・世宗に王位を譲る。世宗大王の時代へ |
| 1420年 | 集賢殿 設立 世宗が優秀な学者を集めた王立シンクタンクを設置 |
| 1420年代〜 | チャン・ヨンシル 登用 身分の低い出身ながら天才発明家として抜擢。測雨器・渾天儀などを発明 |
| 1443年 | ハングル創製 世宗が集賢殿の学者たちとともに朝鮮固有の文字を完成 |
| 1450年 | 世宗 崩御(享年53歳) 次代・文宗へ。世祖の時代へと続く |
