高句麗・百済・新羅。この3つと並んで語られるのに、なぜか「三国時代」には数えてもらえない国があります。伽耶(かや/カヤ)です。
日本では「任那(みまな)」の名前で出てくることもあり、名前は聞いたことがあるのに、実態がよくわからない。そんな存在ではないでしょうか。
このページでは、伽耶とは何だったのかを整理し、唯一まとまった王の記録が残る金官伽耶(きんかんかや)の全10代を一覧にします。
伽耶は「国」ではありませんでした
まず、いちばん大事な前提から。
高句麗・百済・新羅のつもりで伽耶を見ると、必ず混乱します。伽耶はひとつの国ではなく、朝鮮半島南部にあった小国の集まりだからです。
伽耶(かや/カヤ)の基本情報
- 時期 おおむね1世紀〜562年
- 場所 朝鮮半島南部、洛東江(ナクトンガン)の流域
- 性格 統一王権をもたない、小国の連合体
- 中心 前期=金官伽耶(今の金海) → 後期=大伽耶(今の高霊)
- 終わり 532年に金官伽耶が新羅へ降伏、562年に大伽耶が滅亡
イメージとしては、強い盟主のいる商店街の組合に近いかもしれません。それぞれの店(小国)が独立して商売をしていて、なかでも大きな店が全体をまとめている。でも組合は組合であって、ひとつの会社ではない。
だから伽耶には、高句麗の28代・百済の31代・新羅の56代にあたるような、ひと続きの王の系譜がありません。これが伽耶を語りにくくしている最大の理由です。
金官伽耶 歴代王 全10代一覧
とはいえ、ひとつだけ例外があります。連合の初期の盟主だった金官伽耶です。
『三国遺事』に収められた「駕洛国記(からくこっき)」という記録に、建国から滅亡までの10代がまとめて残されています。伽耶でこれだけそろっているのは、ここだけです。
| 代 | 王名(読み) | 在位 | ひとこと |
|---|---|---|---|
| 1 | 首露王(スロワン) | 42–199 | 建国者。卵から生まれたと伝わる。在位158年 |
| 2 | 居登王(コドゥンワン) | 199–259 | 首露王と許黄玉の子 |
| 3 | 麻品王(マプムワン) | 259–291 | — |
| 4 | 居叱弥王(コジルミワン) | 291–346 | — |
| 5 | 伊尸品王(イシプムワン) | 346–407 | — |
| 6 | 坐知王(チャジワン) | 407–421 | 一時政治が乱れたと伝わる |
| 7 | 吹希王(チュィヒワン) | 421–451 | — |
| 8 | 銍知王(チルチワン) | 451–492 | 首露王の廟を建てる |
| 9 | 鉗知王(キョムジワン) | 492–521 | — |
| 10 | 仇衡王(クヒョンワン) | 521–532 | 最後の王。532年、新羅に降伏 |
532年 金官伽耶、新羅へ降伏
王族は新羅の貴族として迎えられ、その子孫から金庾信(キム・ユシン)が出る
在位158年?
1代・首露王の在位が42年から199年、158年間となっています。当然そのままでは信じられません。
建国者の在位が異常に長い例は、日本の『日本書紀』の初期天皇や、新羅・高句麗の初期王にも共通して見られます。建国神話の時代は、複数の人物や出来事がひとりに集約されていると考えるのが一般的です。
数字を疑うこと自体が、古い史料の読み方の基本になります。
首露王と、インドから来たお妃
金官伽耶の建国神話は、なかなか強烈です。
亀旨峰(クジボン)という山に天から金の箱が降り、なかに6つの黄金の卵があった。そこから生まれた6人の子どもが、それぞれ6つの伽耶の王になった──その最初に生まれたのが首露王、とされます。
さらに面白いのが、そのお妃です。許黄玉(ホ・ファンオク)という女性が、はるか阿踰陀国(アユタ国)から船で海を渡ってきて、首露王の妃になったと記録されています。
このアユタ国をインドのアヨーディヤーとみる説があり、韓国の許(ホ)氏・金海金氏は今もこの伝承を大切にしています。金海には許黄玉の陵とされる墓があり、インドから訪れる人もいます。
もちろん史実とは言えません。ただ、海を越えて外から人が来るという神話を持つこと自体が、伽耶という国の性格をよく表しています。
なぜ他の伽耶は、王の名前が残らないのか
ここが伽耶を書くうえでいちばん大事なところです。
金官伽耶以外の伽耶については、王の名前がほとんどわかっていません。
| 国 | 場所 | 王の記録 |
|---|---|---|
| 金官伽耶 | 金海 | 10代フルで残る |
| 大伽耶 | 高霊 | 始祖と、末期の2〜3人だけ |
| 阿羅伽耶(安羅) | 咸安 | 個人名はほぼ不明 |
| 古寧伽耶 | 咸昌 | 不明 |
| 星山伽耶 | 星州 | 不明 |
| 小伽耶 | 固城 | 不明 |
大伽耶でわかるのは、始祖の伊珍阿豉王(イジナシワン)、6世紀の異脳王(イノワン)、そして562年に新羅に滅ぼされた最後の道設智王(トソルチワン)くらい。系図としてつながりません。
理由は単純です。自分で歴史書を残せなかったから。
高句麗・百済・新羅は統一王権を築き、自国の歴史を記録しました。それを後世にまとめたのが『三国史記』です。しかし伽耶は連合のまま終わったため、自前の記録が残らず、新羅・中国・日本という「他国の史料」に断片的に出てくるだけになりました。
「6伽耶」という整理も、実は後付けです
「伽耶は6つの国からなる」という有名な整理は、13世紀の『三国遺事』によるものです。伽耶が滅んでから700年近くあとに書かれたまとめ、ということになります。
一方、『日本書紀』はまったく別の国名を並べ、考古学の発掘からは、もっと多くの政治体が併存していたと考えられています。
つまり「6伽耶」は事実の記録というより、後世の整理の枠です。教科書に載る図がすっきりしているほど、後から整えられている可能性を疑ってみる。これは伽耶にかぎらず、古代史を読むときの大事なコツです。
中心は、金海から高霊へ移りました
伽耶の500年は、どこが盟主だったかで前後に分かれます。
| 前期 | 後期 | |
|---|---|---|
| 時期 | 1〜4世紀 | 5〜6世紀 |
| 中心 | 金官伽耶(今の金海) | 大伽耶(今の高霊) |
| 立地 | 洛東江の河口・海に面する | 内陸の山あい |
| 強み | 鉄の生産と海上交易 | 農業と、内陸での再建 |
なぜ中心が移ったのか
決定打は400年です。
新羅が高句麗に助けを求め、広開土王が5万の兵を南へ送りました。このとき伽耶と倭の連合軍が大敗し、海に面した金官伽耶は壊滅的な打撃を受けます。好太王碑にも、この南征の記録が刻まれています。
海の玄関口をやられた金官伽耶は衰え、代わって内陸で安全だった大伽耶が盟主になりました。
そして532年、金官伽耶の仇衡王が新羅に降伏。562年には大伽耶も新羅に滅ぼされ、伽耶の歴史は終わります。
降伏した王族の、その後
金官伽耶の仇衡王は、新羅で厚遇されました。その曾孫が、三国統一の立役者 金庾信(キム・ユシン)です。
新羅の最高身分になれなかった伽耶系の家柄でありながら、金庾信は武烈王・金春秋と手を組み、百済と高句麗を滅ぼす原動力になりました。ドラマ『善徳女王』『大王の夢』でおなじみの人物です。
滅ぼされた国の子孫が、滅ぼした国の統一を成し遂げたわけです。
図で見る、伽耶の中心地の移り変わり
伽耶と日本のつながり
伽耶は、日本ともっとも早くから深く関わった地域です。
鉄が動かしていた
伽耶最大の強みは鉄でした。中国の『三国志』魏書東夷伝には、この地域の鉄を周辺の国々や倭が求めてやってきた、と記されています。当時の鉄は、農具にも武器にもなる戦略物資です。
日本列島の弥生時代後期から古墳時代の遺跡から出る鉄素材の多くは、この地域から来たと考えられています。
土器・馬・技術
須恵器(すえき)の技術、馬具、乗馬の風習──日本の古墳時代に現れる新しい文物の多くが、伽耶を経由して入ってきました。
「任那日本府」について
かつて、4〜6世紀にヤマト政権が伽耶を支配し、統治機関として「任那日本府」を置いたという説が唱えられていました。日本の戦前の教科書にも載っていた説です。
現在では、この支配説は日韓どちらの研究者からも支持されていません。日韓歴史共同研究でも、ヤマト政権による支配という理解は成り立たないという点でおおむね一致しています。
一方で、伽耶と倭のあいだに人・モノ・技術の濃密な往来があったこと自体は、双方が認めるところです。「支配」ではなく「交流」として見るのが、今の標準的な理解ということになります。
伽耶に会いに行くなら、金海へ
慶州(新羅)、扶余(百済)と比べると地味ですが、伽耶を見るなら**金海(キメ)**です。釜山から地下鉄でつながっていて、日帰りで行けます。
- 国立金海博物館 伽耶の鉄・土器・装身具がまとまって見られる
- 大成洞古墳群 金官伽耶の王族の墓。博物館が併設
- 首露王陵 建国者の墓とされる場所
- 亀旨峰 黄金の卵が降りたという伝説の丘
日本の古墳から出る品と、驚くほど似たものが並んでいます。教科書で読む「大陸との交流」が、現物として目の前にある感覚です。
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