好奇心の赴くままに。気になったことを、気ままに深掘り

高句麗・百済・新羅の違いが3分でわかる|地図と年表で見る朝鮮半島の三国時代

『朱蒙』『善徳女王』『階伯』。韓国時代劇を見ていると、高句麗・百済・新羅という3つの国が次々に出てきます。

でも「結局どこにあって、何が違うの?」と聞かれると、ちょっと困りますよね。

この記事では、地図・比較表・年表の3つだけで、朝鮮半島の三国時代をまとめます。先に答えを言うと、こうです。

北の高句麗、西の百済、東の新羅。3つの国は4世紀から7世紀にかけて主役を入れ替えながら争い、最後に新羅が勝ち残りました。

AD – 読み進める前のひとやすみ

まず地図で見る:北の高句麗、西の百済、東の新羅

500年ごろの朝鮮半島(高句麗・百済・新羅・伽耶のイメージ図) 中国 高句麗 こうくり/コグリョ 平壌 百済 熊津 伽耶 新羅 慶州 倭(日本) 500年ごろのイメージ図(国境はおおよそ)
国場所今でいうと
高句麗北北朝鮮から中国の東北部まで
百済南西韓国の西側(ソウル・公州・扶余のあたり)
新羅南東韓国の東側(慶州のあたり)
伽耶南の真ん中韓国の南部(金海のあたり)

地図を見ると、高句麗だけがとても大きいのがわかります。高句麗は半島の北にとどまらず、今の中国の東北部まで広がっていました。

南にある伽耶(かや)は、1つの国ではなく、小さな国の集まりです。なぜ「三国」に数えないのかは、あとで説明します。

3つの国を1枚の表で比べる

高句麗百済新羅
読み(日本/韓国)こうくり/コグリョくだら/ペクチェしらぎ/シルラ
場所北南西南東
建国(伝説の年)紀元前37年紀元前18年紀元前57年
主な都国内城→平壌漢城→熊津→泗沘金城(慶州)
いちばん強かった時期5世紀4世紀7世紀
滅亡668年660年935年(676年からは統一新羅)
ひとことで北の騎馬の強国海でつながる文化の国最後に勝ち残った国
日本との関係遠くの強国いちばんの仲間ライバル

百済の都の漢城は今のソウル、熊津は公州、泗沘は扶余です。百済は高句麗に攻められるたびに、都を南へ移していきました。

伝説では新羅がいちばん古いけれど

表の「建国」は、12世紀に朝鮮でまとめられた歴史書『三国史記』に書かれた伝説の年です。これだと新羅がいちばん古くなります。

でも実際に国としてまとまったのは、中国に近い高句麗がいちばん早く、新羅がいちばん遅かったと考えられています。

いちばん遅れて力をつけた新羅が、最後に勝ち残る。 ここが三国時代のおもしろいところです。

年表:主役が入れ替わった三国時代

三国時代は、3チームのリーグ戦で首位が入れ替わっていくようなものです。時代ごとに「いちばん強い国」が交代します。

時期主役できごと
313年高句麗中国が半島に置いていた楽浪郡を滅ぼす
4世紀後半百済近肖古王が高句麗を攻め、王を戦死させる(371年)
5世紀高句麗広開土王・長寿王の時代。都を平壌に移し(427年)、百済の都・漢城を落とす(475年)
6世紀新羅漢江の流域を奪い(553年)、伽耶をのみこむ(562年)
7世紀新羅+唐百済が滅亡(660年)→白村江の戦い(663年)→高句麗が滅亡(668年)
676年新羅唐の軍を追い出し、半島の大部分をまとめる

4世紀:百済の時代

最初に首位に立ったのは百済です。近肖古王は北の高句麗を攻めて、高句麗の王を戦死させました。このころ百済は倭(日本)とも手を結び、七支刀を贈ったとされています。

5世紀:高句麗の時代

次は高句麗の番です。広開土王が領土を大きく広げ、その子の長寿王が都を平壌に移して南へ進みます。475年には百済の都・漢城が落とされ、百済の王も殺されました。百済はここから南の熊津へ逃れて、国を立て直すことになります。

6〜7世紀:新羅の時代

最後に力をつけたのが新羅です。6世紀に漢江の流域を奪って中国と海で直接つながり、伽耶も手に入れます。7世紀には中国の唐と組んで、百済と高句麗を次々に滅ぼしました。

ただし新羅がまとめたのは、半島の大部分までです。高句麗の北の土地には、のちに高句麗の遺民たちが渤海(ぼっかい)という国を建てます。

676年からあとは「統一新羅」

半島をまとめたあとの新羅を、歴史の本では統一新羅(とういつしらぎ)と呼び分けます。ただし、国が入れ替わったわけではありません。王家も、都の慶州も、そのまま続いています。

さきほどのリーグ戦のたとえで言うと、優勝が決まったあともチームは解散せずに続いている、という感じです。前半が「新羅」、優勝後が「統一新羅」。同じチームの呼び分けだと思ってください。

新羅統一新羅
時期〜676年676〜935年
広さ半島の南東だけ半島の大部分
ライバル高句麗・百済北の渤海
都慶州慶州(同じ)

前の比較表で新羅の滅亡だけが935年になっているのは、この統一新羅の時代まで入れた年だからです。そして935年、統一新羅は次の高麗に国をゆずることになります。

まちがえやすい3つのこと

① 高句麗と高麗は別の国

高句麗高麗
時代〜668年918〜1392年
読みこうくりこうらい
関係三国時代の国統一新羅のあとに半島をまとめた国

英語の「Korea」は、あとの時代の高麗から来た名前です。

ややこしいのは、高句麗も途中から「高麗」と名乗っていて、『日本書紀』でも高句麗を「高麗(こま)」と書いていることです。埼玉県日高市の高麗神社は、この高句麗から日本に来た人々ゆかりの神社です。古い本やお寺・神社で「高麗」を見かけたら、どちらの国のことかを確かめてみてください。

② 伽耶はなぜ「三国」に入らない?

伽耶は、1人の王のもとにまとまる大きな国にならず、小さな国の集まりのままでした。そして金官加耶(金海)が532年、大加耶(高霊)が562年に新羅に取りこまれます。

また、『三国史記』はその名のとおり3つの国の歴史をまとめた本で、伽耶の歴史を独立して書いていません。「三国時代」という呼び方は、この歴史書の区切りから来ているのです。

でも日本にとって伽耶は、鉄や技術の仕入れ先としてとても大切な場所でした。

③ 中国の『三国志』とは別の話

中国の三国時代朝鮮半島の三国時代
国魏・呉・蜀高句麗・百済・新羅
期間220〜280年(約60年)4〜7世紀が中心(数百年)
有名な物語『三国志』(劉備・曹操)『三国史記』

名前は似ていますが、まったく別の時代・別の国の話です。ちなみに、卑弥呼が登場する「魏志倭人伝」は、中国の『三国志』の一部です。

日本とのつながり:仲間・ライバル・遠くの強国

国日本から見ると代表的なできごと
百済いちばんの仲間七支刀を贈る/仏教を伝える(6世紀)/白村江の戦いで倭が百済を助けに行く
新羅ライバル百済や伽耶をめぐって争う。それでも使節の行き来は続いた
高句麗遠くの強国広開土王碑に倭と戦った記録が残る/7世紀には聖徳太子の師・慧慈が来日
伽耶鉄の仕入れ先鉄や焼きものの技術が海を渡る

日本の歴史の教科書に出てくる「渡来人」「仏教伝来」「白村江の戦い」は、どれもこの三国時代の朝鮮半島とつながっています。

まとめ:三国時代はこの3つだけ覚えればOK

覚えること答え
どこにあった?北の高句麗、西の百済、東の新羅(南に伽耶)
誰が強かった?4世紀は百済→5世紀は高句麗→6〜7世紀は新羅
勝ったあとは?676年からは統一新羅。935年に高麗へ交代
日本との関係は?百済は仲間、新羅はライバル、高句麗は遠くの強国

このあたりが気になった方へ

新羅・高句麗・百済の王×韓国時代劇 早見表|三国時代をドラマで一覧韓国時代劇の舞台といえば朝鮮王朝が圧倒的に多いですが、それより遥か昔、朝鮮半島には3つの国が並び立っていた時代がありました。高句麗・百済・新羅──そして小国群の… 倭と朝鮮半島の関係がわかる300年|七支刀から白村江まで『倭が求めたもの』で整理古代の朝鮮半島の話は、ややこしいです。 高句麗、百済、新羅、加耶。4つの名前が出てきて、同盟したり裏切ったり、そこに倭まで首を突っ込む。年表を見ても、頭に入って… 朝鮮半島の仏教美術の見分け方──仏像・瓦・梵鐘で読む、日本への道すじ博物館で「朝鮮半島の仏教美術」と書かれた一角に来ると、正直、足が止まりにくい場所です。 金の冠や馬具のような派手さがない。似たような金色の小さな仏像が並んでいて… 加耶・百済・新羅・高句麗の見分け方──金の冠は「身分証明書」だった博物館で朝鮮半島の展示室に入ると、ガラスケースの中に金色のものがずらりと並んでいます。冠、耳飾り、腰帯、靴。 正直に言うと、最初は全部同じに見えます。「昔の人は… 中国王朝一覧・年表|統一と分裂の歴史を朝鮮半島・日本と並べて見る中国史が苦手な理由は、はっきりしています。名前が多すぎる。 殷、周、秦、漢、三国、晋、南北朝、隋、唐、五代十国、宋、遼、金、元、明、清。順番に覚えろと言われても… 東京国立博物館の回り方|平成館・東洋館で古代をたどる1日モデルコース上野の東京国立博物館、通称「トーハク」。日本でいちばん古い博物館です。 トーハクをもっと楽しむために、私が事前に調べて書いた記事を、この1ページにまとめました。…
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵