『朱蒙』『善徳女王』『階伯』。韓国時代劇を見ていると、高句麗・百済・新羅という3つの国が次々に出てきます。
でも「結局どこにあって、何が違うの?」と聞かれると、ちょっと困りますよね。
この記事では、地図・比較表・年表の3つだけで、朝鮮半島の三国時代をまとめます。先に答えを言うと、こうです。
北の高句麗、西の百済、東の新羅。3つの国は4世紀から7世紀にかけて主役を入れ替えながら争い、最後に新羅が勝ち残りました。
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まず地図で見る:北の高句麗、西の百済、東の新羅
| 国 | 場所 | 今でいうと |
|---|
| 高句麗 | 北 | 北朝鮮から中国の東北部まで |
| 百済 | 南西 | 韓国の西側(ソウル・公州・扶余のあたり) |
| 新羅 | 南東 | 韓国の東側(慶州のあたり) |
| 伽耶 | 南の真ん中 | 韓国の南部(金海のあたり) |
地図を見ると、高句麗だけがとても大きいのがわかります。高句麗は半島の北にとどまらず、今の中国の東北部まで広がっていました。
南にある伽耶(かや)は、1つの国ではなく、小さな国の集まりです。なぜ「三国」に数えないのかは、あとで説明します。
3つの国を1枚の表で比べる
| 高句麗 | 百済 | 新羅 |
|---|
| 読み(日本/韓国) | こうくり/コグリョ | くだら/ペクチェ | しらぎ/シルラ |
| 場所 | 北 | 南西 | 南東 |
| 建国(伝説の年) | 紀元前37年 | 紀元前18年 | 紀元前57年 |
| 主な都 | 国内城→平壌 | 漢城→熊津→泗沘 | 金城(慶州) |
| いちばん強かった時期 | 5世紀 | 4世紀 | 7世紀 |
| 滅亡 | 668年 | 660年 | 935年 |
| ひとことで | 北の騎馬の強国 | 海でつながる文化の国 | 最後に勝ち残った国 |
| 日本との関係 | 遠くの強国 | いちばんの仲間 | ライバル |
百済の都の漢城は今のソウル、熊津は公州、泗沘は扶余です。百済は高句麗に攻められるたびに、都を南へ移していきました。
伝説では新羅がいちばん古いけれど
表の「建国」は、12世紀に朝鮮でまとめられた歴史書『三国史記』に書かれた伝説の年です。これだと新羅がいちばん古くなります。
でも実際に国としてまとまったのは、中国に近い高句麗がいちばん早く、新羅がいちばん遅かったと考えられています。
いちばん遅れて力をつけた新羅が、最後に勝ち残る。 ここが三国時代のおもしろいところです。
年表:主役が入れ替わった三国時代
三国時代は、3チームのリーグ戦で首位が入れ替わっていくようなものです。時代ごとに「いちばん強い国」が交代します。
| 時期 | 主役 | できごと |
|---|
| 313年 | 高句麗 | 中国が半島に置いていた楽浪郡を滅ぼす |
| 4世紀後半 | 百済 | 近肖古王が高句麗を攻め、王を戦死させる(371年) |
| 5世紀 | 高句麗 | 広開土王・長寿王の時代。都を平壌に移し(427年)、百済の都・漢城を落とす(475年) |
| 6世紀 | 新羅 | 漢江の流域を奪い(553年)、伽耶をのみこむ(562年) |
| 7世紀 | 新羅+唐 | 百済が滅亡(660年)→白村江の戦い(663年)→高句麗が滅亡(668年) |
| 676年 | 新羅 | 唐の軍を追い出し、半島の大部分をまとめる |
4世紀:百済の時代
最初に首位に立ったのは百済です。近肖古王は北の高句麗を攻めて、高句麗の王を戦死させました。このころ百済は倭(日本)とも手を結び、七支刀を贈ったとされています。
5世紀:高句麗の時代
次は高句麗の番です。広開土王が領土を大きく広げ、その子の長寿王が都を平壌に移して南へ進みます。475年には百済の都・漢城が落とされ、百済の王も殺されました。百済はここから南の熊津へ逃れて、国を立て直すことになります。
6〜7世紀:新羅の時代
最後に力をつけたのが新羅です。6世紀に漢江の流域を奪って中国と海で直接つながり、伽耶も手に入れます。7世紀には中国の唐と組んで、百済と高句麗を次々に滅ぼしました。
ただし新羅がまとめたのは、半島の大部分までです。高句麗の北の土地には、のちに高句麗の遺民たちが渤海(ぼっかい)という国を建てます。
中国の王朝と並べて流れを見たい人は、こちらの年表もどうぞ。
中国王朝一覧・年表|統一と分裂の歴史を朝鮮半島・日本と並べて見る中国史が苦手な理由は、はっきりしています。名前が多すぎる。 殷、周、秦、漢、三国、晋、南北朝、隋、唐、五代十国、宋、遼、金、元、明、清。順番に覚えろと言われても…
まちがえやすい3つのこと
① 高句麗と高麗は別の国
| 高句麗 | 高麗 |
|---|
| 時代 | 〜668年 | 918〜1392年 |
| 読み | こうくり | こうらい |
| 関係 | 三国時代の国 | 新羅のあとに半島をまとめた国 |
英語の「Korea」は、あとの時代の高麗から来た名前です。
ややこしいのは、高句麗も途中から「高麗」と名乗っていて、『日本書紀』でも高句麗を「高麗(こま)」と書いていることです。埼玉県日高市の高麗神社は、この高句麗から日本に来た人々ゆかりの神社です。古い本やお寺・神社で「高麗」を見かけたら、どちらの国のことかを確かめてみてください。
② 伽耶はなぜ「三国」に入らない?
伽耶は、1人の王のもとにまとまる大きな国にならず、小さな国の集まりのままでした。そして金官加耶(金海)が532年、大加耶(高霊)が562年に新羅に取りこまれます。
また、『三国史記』はその名のとおり3つの国の歴史をまとめた本で、伽耶の歴史を独立して書いていません。「三国時代」という呼び方は、この歴史書の区切りから来ているのです。
でも日本にとって伽耶は、鉄や技術の仕入れ先としてとても大切な場所でした。
伽耶から日本へ渡ってきたもの──古墳時代を変えた5世紀のはなし以前、韓国の金海(キメ)にある国立金海博物館で、金官加耶(きんかんかや)という古代国家の展示をじっくり見てきました。鉄と焼き物で栄えた国です。 展示のなかに、金…
③ 中国の『三国志』とは別の話
| 中国の三国時代 | 朝鮮半島の三国時代 |
|---|
| 国 | 魏・呉・蜀 | 高句麗・百済・新羅 |
| 期間 | 220〜280年(約60年) | 4〜7世紀が中心(数百年) |
| 有名な物語 | 『三国志』(劉備・曹操) | 『三国史記』 |
名前は似ていますが、まったく別の時代・別の国の話です。ちなみに、卑弥呼が登場する「魏志倭人伝」は、中国の『三国志』の一部です。
日本とのつながり:仲間・ライバル・遠くの強国
| 国 | 日本から見ると | 代表的なできごと |
|---|
| 百済 | いちばんの仲間 | 七支刀を贈る/仏教を伝える(6世紀)/白村江の戦いで倭が百済を助けに行く |
| 新羅 | ライバル | 百済や伽耶をめぐって争う。それでも使節の行き来は続いた |
| 高句麗 | 遠くの強国 | 広開土王碑に倭と戦った記録が残る/7世紀には聖徳太子の師・慧慈が来日 |
| 伽耶 | 鉄の仕入れ先 | 鉄や焼きものの技術が海を渡る |
日本の歴史の教科書に出てくる「渡来人」「仏教伝来」「白村江の戦い」は、どれもこの三国時代の朝鮮半島とつながっています。日本とのつながりをもっと知りたい人は、こちらの記事へどうぞ。
倭が朝鮮半島と深く関わった300年──鉄の交易から白村江まで古代の朝鮮半島の話は、ややこしいです。 高句麗、百済、新羅、加耶。4つの名前が出てきて、同盟したり裏切ったり、そこに倭まで首を突っ込む。年表を見ても、頭に入って…
ドラマで見るなら:時代ごとの代表作
年表の主役の入れ替わりと、ドラマの舞台はほぼ同じ順番で並びます。
| 時代 | 主役の国 | ドラマ |
|---|
| 建国のころ | 高句麗・百済・伽耶 | 『朱蒙』『鉄の王キム・スロ』 |
| 4世紀 | 百済 | 『百済の王 クンチョゴワン』 |
| 5世紀 | 高句麗 | 『太王四神記』『広開土太王』 |
| 6世紀 | 百済・新羅 | 『帝王の娘 スベクヒャン』『薯童謠』『花郎』 |
| 7世紀 | 新羅・百済 | 『善徳女王』『階伯』『大王の夢』 |
| 滅亡のあと | 渤海 | 『大祚榮』 |
それぞれの王様がどのドラマに出てくるかは、こちらの早見表にまとめています。
新羅・高句麗・百済の王×韓国時代劇 早見表|三国時代をドラマで一覧韓国時代劇の舞台といえば朝鮮王朝が圧倒的に多いですが、それより遥か昔、朝鮮半島には3つの国が並び立っていた時代がありました。高句麗・百済・新羅──そして小国群の…
次に韓国時代劇を見るときは、「今は誰が首位の時代かな?」と思い出してみてください。ドラマの中の戦いや裏切りが、ぐっとわかりやすくなるはずです。
まとめ:三国時代はこの3つだけ覚えればOK
| 覚えること | 答え |
|---|
| どこにあった? | 北の高句麗、西の百済、東の新羅(南に伽耶) |
| 誰が強かった? | 4世紀は百済→5世紀は高句麗→6〜7世紀は新羅 |
| 日本との関係は? | 百済は仲間、新羅はライバル、高句麗は遠くの強国 |
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵