私たちの祖先は、アフリカで生まれて、世界中へ広がっていきました。
日本列島にたどり着いたのは、その長い旅のいちばん端っこです。
東へ東へと進み続けて、これ以上進めないところまで来た。その先は海しかない。そういう場所に、私たちは住んでいます。
では、その端っこに、人はどこから入ってきたのか。
答えは「西から」ではありません。北から、南から、そして海の彼方から。
この記事は、列島に3つあった入口の話です。
入口は、3つありました
時期はおよそ3万8千年前。氷期のまっただ中で、いまより海面が100メートル以上低い時代でした。
| ルート | どこから | どうやって |
|---|---|---|
| 北海道ルート | シベリアからサハリン経由 | 歩いて渡れた |
| 対馬ルート | 朝鮮半島から九州へ | 船で海峡を渡った |
| 沖縄ルート | 台湾から島伝いに | 船で黒潮を越えた |
ここで意外なのは、歩いて渡れたのは北だけだったことです。
海面が100メートル下がっても、対馬海峡には水が残りました。沖縄に至っては、外洋のまっただ中です。
土器もない、農耕もない時代に、人はすでに海を渡っていました。
では、3つの入口を順番に見ていきます。
北の入口──マンモスと歩いてきた
氷期の宗谷海峡は陸地になっていて、大陸からサハリンを通って北海道まで、地続きでした。
だから北海道には、大陸の動物がそのまま入ってきます。マンモスです。
一方、津軽海峡だけは、つながりませんでした。深い海峡なので、海面が下がっても水が残ったのです。結果、北海道と本州のあいだに、目に見えない壁ができました。
| 北海道 | 本州 | |
|---|---|---|
| いた象 | マンモス | ナウマンゾウ |
| つながっていた先 | 大陸(サハリン経由) | ― |
同じ日本列島なのに、北と南でいた象が違う。この境目をブラキストン線と呼びます。
北海道は「日本のいちばん北」である前に、「大陸のいちばん端」だった。そう考えると、地図の見え方が少し変わります。
南の入口──船で石を運んだ人たち
次は九州側です。
こちらの証人は、黒曜石です。
黒曜石は火山ガラスで、叩けば思ったところで、思った形に割れます。だから石器の材料として最高でした。そしてもうひとつ、大事な性質があります。
産地ごとに、成分が違うのです。
つまり、遺跡から出てきた黒曜石を分析すれば、「この石はどこの山から来たか」が特定できます。石が、産地証明書を持っているようなものです。
佐賀県伊万里市に腰岳(こしだけ)という山があります。九州随一の黒曜石の産地で、3万年以上前から使われてきました。
その腰岳の黒曜石が、海を渡って朝鮮半島の南部から出てくるのです。
さらに驚く例があります。伊豆の神津島。ここは氷期でも島のままで、一度も陸続きになっていません。それなのに、3万年以上前の本州の遺跡から、神津島産の黒曜石が出てきます。
往復40キロを超える外洋を、船で渡って石を取りに行っていた。
南の入口は、一度渡って終わりの「入口」ではありませんでした。行き来する海の道だったのです。
沖縄の入口──見えない島へ漕ぎ出した人たち
そして3つ目。これが、いちばんの冒険です。
台湾から与那国島へ渡るには、黒潮を横切る必要があります。幅100キロ、流速は時速7キロにもなる、世界最大級の海流です。
しかも、台湾の海岸から与那国島は見えません。
見えない島に向かって、流れの速い海へ漕ぎ出す。北の「歩いて渡る」とは、比べものにならない賭けです。
本当に渡れたのか。それを確かめた実験があります。国立科学博物館の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」です。草の舟で失敗し、竹のいかだで失敗し、最後に石斧で削った丸木舟で挑戦。2019年、台湾から与那国島まで約45時間漕ぎ続けて、渡りきりました。
3万年前の道具と技術で、あの海は越えられる。実験が、それを示したのです。
そして沖縄には、北にも南にもない宝があります。
人骨です。
本土の土は酸性なので、旧石器時代の骨はほとんど溶けて残っていません。石器はあるのに、作った人の姿がない。ところが沖縄は石灰岩の島なので、骨が残ります。
- 港川人(沖縄本島・約2万年前)── 教科書でおなじみ、ほぼ全身がそろった人骨
- 白保竿根田原洞穴遺跡(石垣島・約2万7千年前)── 日本最古級の全身骨格
- サキタリ洞遺跡(沖縄本島・約2万3千年前)── 貝で作った世界最古の釣り針
つまり、こういう分担になっています。
| 本土 | 沖縄 | |
|---|---|---|
| 残ったもの | 石器(道具) | 人骨(本人) |
| 残らなかったもの | 骨(酸性土壌で溶ける) | 石器はわずか(貝の道具の文化) |
旧石器時代の「道具」を知りたければ本土の博物館へ。「顔」を知りたければ沖縄へ。列島の端と端が、ひとつの時代を分担して伝えているわけです。
同じ道具が、別々の道から来た
3つの入口のうち、北と南のあいだでは、面白いことが起きています。
細石刃(さいせきじん)という道具です。
名前は難しいのですが、仕組みはとても分かりやすい。小さくて薄い石の刃をたくさん作り、骨や木の棒に彫った溝に、ずらりと埋め込む。すると1本の長い刃物になります。
カッターナイフの替え刃を想像してください。
刃こぼれしても、その部分だけ差し替えればいい。全部作り直さなくていい。良い石が貴重な時代に、ひとつの塊から最大限の刃を取り出せる。移動しながら暮らす人たちにとって、これ以上ない道具でした。
そして、ここからが本題です。
この替え刃式、北海道にも九州にもあります。でも、来た道が違うのです。
| 北海道の細石刃 | 九州の細石刃 | |
|---|---|---|
| どこから | シベリア(サハリン経由) | 朝鮮半島とつながる系統 |
| 元々は | マンモスを追う人たちの道具 | 半島南部と共通の作り方 |
しかも、刃を取り出すための石の下ごしらえが、北と南でまるで別のやり方です。同じ結果にたどり着いているのに、手順が違う。
似ているのに、来た道が違う。それぞれの入口は、旧石器時代からすでに、別々の世界とつながっていました。
💡 ちなみに、沖縄に細石刃はありません。ガラス質の良い石が採れない島だからです。石がなければ、貝で作る。サキタリ洞遺跡(沖縄本島・約2万3千年前)の貝で作った世界最古の釣り針は、その答えでした。
| 北海道 | 九州 | 沖縄 |
|---|---|---|
| 細石刃 あり(シベリア系)から | 細石刃 あり(半島系) | なし |
| 黒曜石あり(白滝など) | 黒曜石あり(腰岳など) | 良い石がない → 貝で解決 |
そのあと、入口はどうなったか
時代が進むと、3つの入口は対照的な道をたどります。
南の入口は、どんどん太くなります。縄文時代には土器や石が海峡を行き来し、やがて稲作が渡り、弥生時代が始まります。金属器が入り、ムラがクニになっていく。南の窓は、開きっぱなしになりました。
北の入口は、開いたり閉じたりを繰り返します。本州が弥生・古墳と駆け足で変わっていくあいだ、北海道は稲が育たない土地でした。だから狩りと漁が続きます。縄文が続いたという意味で、この時代を続縄文文化と呼びます。
沖縄も、独自の時間を生きます。サンゴ礁の海の恵みで暮らす貝塚時代が、なんと平安時代のころまで続きました。稲作もクニも、ずっとあとから来ます。
| 時期 | 本州 | 北海道 | 沖縄 |
|---|---|---|---|
| 紀元前4世紀〜 | 弥生時代(稲作) | 続縄文文化 | 貝塚時代 |
| 3〜7世紀 | 古墳時代 | 続縄文〜擦文文化 | 貝塚時代 |
| 7〜13世紀 | 奈良・平安 | 擦文文化 | 貝塚時代〜グスク時代へ |
教科書の時代区分は、実は本州の時間割なんです。北と南の島々は、それぞれ別の時計で動いていました。
5世紀──2つの入口が、同時に開いた
そのなかで、5世紀ごろ、面白いことが起きます。
北と南の入口が、同時に開くのです。
南では、朝鮮半島の伽耶から、鉄・須恵器・馬・甲冑といった技術が人ごと渡ってきました。大阪の堺に窯が築かれ、河内で馬が育てられ、日本の暮らしの土台が入れ替わっていきます。
同じころ北では、サハリン方面からオホーツク文化の人々が南下してきました。
彼らは海の民です。アザラシやトドを獲り、クジラを追い、骨や牙で道具や飾りを作る。クマを特別なものとして扱い、家の奥に頭骨を積み上げた祭壇を作りました。その暮らしの跡が、網走のモヨロ貝塚などに残っています。
| 5世紀ごろ | 南の入口 | 北の入口 |
|---|---|---|
| どこから | 朝鮮半島(伽耶・百済・新羅) | サハリン方面 |
| 何が来たか | 鉄、須恵器、馬、甲冑 | 海獣狩猟、クマ信仰、骨角器 |
| 着いた先 | 大阪・北部九州 | 北海道オホーツク沿岸 |
大阪で須恵器の窯に火が入ったころ、網走の海岸ではアザラシを獲る人たちが竪穴住居を建てていた。
まったく交わらない2つの出会いが、同じ時代に起きていたのです。
オホーツク文化はやがて北海道内陸の擦文文化と混ざり合い、そこからアイヌ文化が形づくられていきます。
学校の授業では、日本史はたいてい「西から東へ」進みます。でも実際の列島には入口が3つあって、それぞれが別の世界と付き合い続けていました。
博物館では、どこを見るか
東京国立博物館なら、平成館1階の考古展示室です。旧石器時代から江戸時代までを壁沿いにたどる構成なので、入ってすぐ最初のケースがこの記事の話です。
土偶や埴輪に目が行きがちですが、その手前で一度、立ち止まってみてください。
見るポイントは1つだけ。
その石器、大きいですか。小さいですか。
手のひらに乗るくらいの大きな石器なら、旧石器時代の前半。指先ほどの小さな刃がずらりと並んでいたら、旧石器時代の終わりごろのものです。
時代が下るほど、石器は小さくなります。
これは技術が退化したのではなく、逆です。良い石は貴重だから、ひとつの塊からできるだけ多くの刃を取り出したい。その工夫の到達点が、あの替え刃式でした。
そして小さな刃を見つけたら、思い出してみてください。同じ形の道具が、北はシベリアから、南は朝鮮半島から、別々の道で入ってきたことを。
おわりに
「日本人はどこから来たのか」という問いに、ひとつの答えはありません。
北から歩いてきた人がいます。南から船で石を運んだ人がいます。そして、見えない島に向かって黒潮を漕ぎ渡った人がいます。その全部が混ざって、いまがあります。
私たちは、長い旅の端っこに住んでいる。そして端っこには、扉が3つありました。
博物館で小さな石の刃を見つけたら、扉のことを少しだけ思い出してみてください😊
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