韓国の時代劇を観ていると、必ず出てくる言葉があります。
両班(ヤンバン)。
黒い笠をかぶって、ゆったりした上着を着て、道の真ん中を歩いている人たち。庶民は道の端に寄って頭を下げる。だいたいそういう描かれ方をします。
なんとなく「偉い人」「貴族みたいなもの」と思って観ていませんか。私もそうでした。
でも調べてみると、日本の貴族とも武士とも、根っこの部分が違います。そしてその違いを知ると、ドラマの登場人物が何に必死になっているのかが、急にはっきり見えてきます。
両班とは「2つの班」のこと
まず言葉から。
「両班」の「班」は、グループという意味です。では、2つのグループとは何か。
- 文班(ムンバン)……文官のグループ
- 武班(ムバン)……武官のグループ
朝廷で儀式をするとき、王から見て東側に文官、西側に武官が並びました。この東西2列に並ぶ人たちを、まとめて「両班」と呼んだのです。東班・西班とも呼ばれます。
つまり、もともとは身分の名前ではありません。役人の職種を指す言葉でした。
それが朝鮮王朝の時代に、だんだん「そういう家柄の人たち」という意味に変わり、支配層そのものを指すようになっていきます。
ここが出発点です。両班は官僚から始まった身分なのです。
ちなみに、両班という身分を定義した法律は朝鮮王朝にはありません。名門の家、儒学者を出した家などが、慣習として「そういう家」と見なされていくうちに固まっていった身分です。線を引いたのは法ではなく、周囲の目でした。
日本の貴族(公家)と何が違うのか
日本の平安貴族と並べてみます。
| 日本の公家 | 朝鮮の両班 | |
|---|---|---|
| 身分の根拠 | 生まれ(家格) | 官職に就くこと |
| 上がる方法 | 基本的にない | 科挙に受かる |
| 落ちること | ほぼない | ある |
| 一族の目標 | 家格の維持 | 官職を絶やさないこと |
いちばん大きな違いは、下がありうるという点です。
公家は、藤原氏に生まれたら藤原氏です。落ちぶれても家格そのものは残ります。
ところが両班は、根拠が官職にあります。一族から官職に就く者が何代も出なくなると、周囲から両班として扱われなくなっていく。これを没落両班といいます。土地を失い、暮らしは農民と変わらないのに、体面だけは捨てられない。朝鮮の古典文学には、この没落両班がよく登場します。
建前としては、試験に受かり続けないと維持できない身分だった。
これが公家との決定的な違いです。
日本の武士と何が違うのか
では武士とはどうでしょう。こちらも並べます。
| 日本の武士 | 朝鮮の両班 | |
|---|---|---|
| 身分の証 | 刀 | 筆と硯 |
| 力の源 | 領地・俸禄 | 官職と学問 |
| 出世の道 | 家柄・戦功 | 科挙(試験) |
| 部屋に飾るもの | 武具 | 本と文房具 |
| 理想の姿 | 強いこと | 学があること |
武士も両班も支配層ですが、何が偉さの証明になるかがまるで違います。
武士は刀を差していることが身分の証でした。両班にとってそれにあたるのが、筆と硯です。
先ほど「両班には武班もある」と書きましたが、実際には文官のほうがずっと格上とされました。戦の功より、詩を書けることのほうが尊敬される社会だったのです。
儒教(朱子学)を国の背骨に据えた国ですから、学問こそが人の価値でした。ドラマで両班の子が必死に本を読んでいるのは、単なる勉強熱心ではなく、それが家の存続そのものだったからです。
建前と実態──「働かない」支配層
とはいえ、実際に全員が試験を勝ち抜いていたわけではありません。
高位の官僚の子孫が試験なしで官職を得る蔭叙(おんじょ)という道もありましたし、有力な家は代々官職を占めるようになっていきます。建前は実力主義、実態はかなり世襲。このねじれが、両班という身分をややこしくしています。
そしてもうひとつ。両班は生産活動をしませんでした。
田畑は持っていても、耕すのは小作や奴婢です。両班自身は本を読み、詩を作り、儀礼を守る。それが仕事とされました。
「両班は箸と本より重いものは持たない」「転んでも自分では起きない」
こういう言い回しが残っています。もちろん誇張であり、後世の風刺でもあるのですが、労働を卑しいものとする空気が本当にあったことは確かです。
税や兵役の負担も、実際には両班が免れることが多く、そのぶん常民の負担が重くなりました。ここが後々、身分制度が揺らいでいく原因のひとつになります。
両班の下には誰がいたのか
朝鮮王朝の身分は、大きく4つに分けて説明されるのが一般的です。
| 身分 | 誰のことか | ドラマでの見え方 |
|---|---|---|
| 両班 | 文官・武官とその一族 | 主人公とその家。宮廷の人々 |
| 中人(チュンイン) | 通訳、医官、天文、絵画などの専門職。下級役人 | 医女・医官もの、訳官もの |
| 常民(サンミン) | 農民・職人・商人。人口の大半 | 市場の場面。主役になることは少ない |
| 賤民(チョンミン) | 奴婢、妓生、巫堂、僧侶、白丁など | 出自を隠す登場人物 |
※なお、法律の上では「良人(科挙を受けられる自由民)」と「賤民」の2つに分ける見方もあります。この場合、両班・中人・常民はすべて良人に含まれます。
制度の上では、賤民でなければ科挙を受けられました。常民にも受験資格はあったのです。ただし合格者はほとんど両班の家から出ました。漢文で経典を読みこなす教育は、常民の家では用意できなかったからです。門は開いていたが、そこまでたどり着ける者が限られていた。
ここでドラマ好きの方に効いてくるのが、中人です。
医官や通訳は、専門の試験(雑科)を通った専門職ですが、両班ではありません。どれだけ腕が良くても、上には行けない。『ホジュン』の切なさは、ここから来ています。
そしてもうひとつ。庶子、つまり正室でない女性から生まれた子も、両班の家に生まれながら官職を厳しく制限されました。ホン・ギルドンをはじめ、時代劇で「自分は父を父と呼べない」と嘆く登場人物がやたら多いのは、これが理由です。
賤民のなかでは白丁(ペクチョン)がもっとも厳しい扱いを受け、居住も職業も縛られました。仏教が退けられた国だったため、僧侶も賤民に数えられます。
ちなみに、両班であっても罪を得れば落とされます。あの李舜臣も、位を剥がされて一兵卒として従軍する目に、生涯で二度あいました。
19世紀、両班が増えすぎた
固そうに見えたこの仕組みは、後半になると崩れていきます。
戦乱や飢饉で国の財政が苦しくなると、朝廷は官職の名目や身分を金で売るようになります。裕福な常民は族譜(家系図)を買ったり、書き換えたりして、両班を名乗りはじめました。
結果どうなったか。
両班が増えすぎて、両班であることの意味が薄まっていったのです。
地域によっては人口の相当数が両班を称するようになったという記録もあります。税を負担する常民が減り、国の土台がさらに揺らぐ。19世紀に各地で民乱が続くのは、こうした背景と無関係ではありません。
そして1894年の甲午改革で、身分制度そのものが法的に廃止されます。500年続いた仕組みの、これが終わりでした。
韓国時代劇で両班を見分ける
最後に、画面の中での見分け方を。
- 黒い笠(カッ)をかぶっているか → 両班の外出時の定番。庶民はかぶらない
- 袖の広い上着を着ているか → ゆったりした道袍。動きにくい服=働かない証明
- 道のどこを歩いているか → 真ん中を堂々と。庶民は端に寄って道を譲る
- 手に何を持っているか → 本、扇、筆。荷物は従者が持つ
- 敬語の向き → 誰が誰に頭を下げているかで、身分は一発でわかる
服も持ち物も、そのまま身分の表示でした。逆にいえば、画面に映るものはほぼ全部が身分のサインだということです。
部屋の中も同じで、そこに何が飾ってあるかで住人の立場が読めます。両班の書斎に本と文房具が並ぶ話をしましたが、それを絵にしてしまった屏風まであります。
韓国時代劇でわかる朝鮮の屏風の読み方韓国の時代劇を見ていると、王が座る玉座の背後に、必ず同じ絵の屏風が立っています。 赤い太陽と白い月。真ん中に5つの山。手前に松の木と、流れ落ちる滝。 どのドラマ…
おわりに
両班をひとことでいうなら、「学問で身分を証明し続けなければならなかった支配層」です。
日本の貴族のように生まれで完結もせず、武士のように領地と武力で立ってもいない。試験に受かること、官職に就くこと、本を持っていること。それが家の命綱でした。
だからドラマの中の彼らは、あれほど体面にこだわり、家門の名誉に必死になります。見栄っ張りに見える場面も、当人たちにとっては生き残りの問題だったわけです。
次に時代劇を観るとき、黒い笠の人が出てきたら思い出してみてください。あの笠の下にあるのは、落ちるかもしれない身分です。
