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中国王朝一覧・年表|統一と分裂の歴史を朝鮮半島・日本と並べて見る

中国史が苦手な理由は、はっきりしています。名前が多すぎる。

殷、周、秦、漢、三国、晋、南北朝、隋、唐、五代十国、宋、遼、金、元、明、清。順番に覚えろと言われても、頭に入りません。

ですが、覚えるものを変えると急に楽になります。王朝名ではなく、統一と分裂の往復です。

この記事では、朝鮮半島と日本を並べた対照年表を置き、まず中国の流れを7つの箱だけで整理します。

そして最後に、日本史の教科書だけでは原因の見えない出来事――なぜ急に律令を作ったのか、なぜあの時期に古墳が巨大化したのか――を、左の列から読み解きます。

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中国・朝鮮半島・日本 対照年表

まず全体を置いておきます。いまは眺めるだけで大丈夫です。読み方は、このあと順に説明します。

中国・朝鮮半島・日本 対照年表 殷から現代までの中国の王朝を、朝鮮半島と日本の時代区分と並べた対照年表。中国の王朝は中原系、北方民族の王朝、分裂・並立の時代の三つに色分けしてある。 中国・朝鮮半島・日本 対照年表 中原系の王朝 北方民族の王朝 分裂・並立の時代 西暦 中国 朝鮮半島 日本 ↑ 日本の縄文時代は、この表のいちばん上より、さらに1万年以上前から続いています 前1600 前1046 前770 前221 前202 220 304 439 581 618 710 794 907 960 1185 1271 1368 1573 1603 1644 1868 1912 西周 春秋・戦国 前漢・新・後漢 三国 → 西晋 五胡十六国・東晋 南北朝(北魏など) 五代十国・遼(契丹) 宋 / 遼・金(女真) 南宋 / 金 元(モンゴル) 清(満洲) 中華民国 → 中華人民共和国 古朝鮮 古朝鮮 古朝鮮 衛氏朝鮮 楽浪郡・三韓 三韓 高句麗・百済・新羅・加耶 三国時代 三国時代 三国 → 統一新羅(676〜) 統一新羅 統一新羅 後三国 → 高麗(918〜) 高麗 高麗 高麗 高麗 → 朝鮮(1392〜) 朝鮮 朝鮮 朝鮮 朝鮮 → 大韓帝国(1897〜) 日本統治 → 南北分断 縄文 縄文 縄文 → 弥生 弥生 弥生 弥生末 → 古墳 古墳 古墳 飛鳥 飛鳥 奈良 平安 平安 平安 鎌倉 鎌倉 室町 安土桃山 江戸 江戸 明治 大正・昭和 →
  • 年代はいずれも概数です。とくに古い時代は研究によって幅があります。
  • 西暦の欄は、その行がいつから始まるかを示しています。行の高さは時間の長さとは関係ありません。
  • 「中原系」は便宜上の呼び方です。隋と唐は北朝の鮮卑系の家柄から出ており、きれいに割り切れるものではありません。
  • 南に立った王朝(東晋・南朝・南宋)は、北を追われた中原の人たちで、別の民族ではありません。

中国の王朝は、暗記しなくていい

覚えるのは王朝の名前ではなく、往復のリズムです。

中国の歴史は、ずっと同じことを繰り返しています。

ひとつにまとまる → ばらばらになる → またまとまる。

これだけです。図にすると、こうなります。

中国史における統一と分裂の往復 紀元前1600年から1912年までを一本の帯で表し、統一の時代と分裂の時代が交互に訪れたことを示した図。殷・西周、秦・漢、隋・唐、元・明・清が統一期、春秋戦国、三国から南北朝、五代から宋・金が分裂期にあたる。 中国史は、統一と分裂の往復でできている 帯の長さが、そのままおおよその年数です(前1600年〜1912年) 統一 分裂 統一 分裂 統一 分裂 統一 殷・西周 秦・漢 隋・唐 元・明・清 春秋・戦国 三国〜南北朝 五代〜宋・金 前1600 前770 前221 220 581 907 1271 1912 ここから先、大きな分裂期はない

山と谷が交互に来ています。統一が3回、分裂が3回。そして最後にもう一度統一が来て、そこで止まる。

王朝名を16個覚えるかわりに、この7つの区画だけ頭に置いてください。細かい名前は、あとから箱の中に入れていけば済みます。

分裂期の見分け方は、拍子抜けするほど簡単

ある時代が分裂期かどうかは、王朝名がいくつ書いてあるかで分かります。

書き方意味
1つだけ統一されている唐、明
2つ以上が並ぶ分裂している魏・呉・蜀/宋・金
「〜十六国」「〜十国」数えるのも大変なほど分裂五胡十六国、五代十国
「南」「北」がつく南北で分かれている南北朝、南宋

年表を見て「宋 / 遼・金」と書いてあったら、それは宋という国が中国全土を持っていたのではない、という意味です。北半分は別の国でした。

※「南宋」のも同じです。北を失ったから、南だけの宋。名前そのものが状況を語っています。

そしてもう一つ、「北から来る」

往復のリズムに、もう一本の線が重なります。

分裂したあと、しばしば北から新しい支配者がやって来る。

中国の北には、農耕に向かない草原が広がっています。そこには馬に乗って移動する人々がいました。匈奴、鮮卑、契丹、女真、モンゴル、満洲。

彼らは機動力で圧倒的に有利でした。だから中国側が分裂して弱ると、そこへ入ってくる。万里の長城が何度も築き直されたのは、この圧力があったからです。

王朝誰が建てたか支配したのは
北魏鮮卑北半分
契丹北の一部
女真北半分
モンゴル全土
満洲全土

下の2つに注目してください。元と清は、中国全土を支配しています。

つまり中国の歴史の最後の600年あまりのうち、およそ400年は北方民族の王朝でした。例外どころではありません。

ちなみに、隋と唐も北朝の鮮卑系の家柄から出ています。「中原系」と「北方民族」は、実はきれいに切り分けられません。

年表の3色は、この話です

ここまでの話が、そのまま上の年表の色分けになります。

意味あてはまる時代
中原系の王朝が、まとめている殷、西周、秦、漢、隋、唐、明
分裂・並立している春秋戦国、三国〜西晋
北方民族の王朝が関わっている五胡十六国、南北朝、遼・金、元、清

色が続いているあいだは、同じ状態が続いている。色が変わったところで、中国という国のかたちが変わった。

横に読むなら、この4つだけでいい

3列ぜんぶを、上から下まで横に読み比べる。これは正直、しんどい作業です。

なので、横に読む価値がとくに高いところを4つだけ選びました。

選んだ基準はひとつです。

中国の状態が変わったせいで、半島と日本が動いた時点。

3列を並べる意味は、ここにあります。日本の歴史の教科書だけを読んでいると、なぜその時期に急に大きな動きが起きたのかが分かりません。原因が、左の列にあるからです。

① 前3〜前1世紀 ── 中国が統一し、金属器が届く

中国朝鮮半島日本
秦 → 漢(統一)衛氏朝鮮 → 楽浪郡・三韓弥生

紀元前221年、秦が中国をまとめます。続く漢は、さらに外へ広がりました。

その結果、紀元前108年に朝鮮半島の北部が漢の領土になります。楽浪郡(らくろうぐん)です。

ここが効きます。中国の役所が、半島の中にできた。大陸の品物と技術が集まる場所が、いきなり日本のすぐ近くに出現したわけです。

日本の弥生時代に、青銅器と鉄器がほぼ同時に流れこんでくるのは、この時期です。銅鏡が北部九州に集まるのも、楽浪郡を経由しています。

中国がまとまって外へ伸びると、半島に拠点ができ、日本にモノが届く。この形は、このあと何度も繰り返されます。

② 5世紀 ── 中国が割れているあいだに

中国朝鮮半島日本
五胡十六国・南北朝(分裂)高句麗・百済・新羅・加耶古墳

今度は逆です。中国が、ばらばらになっています。

北には遊牧民の国がいくつも興り、南には北を追われた王朝が並ぶ。誰も全土を持っていない時代が、300年以上続きます。

すると何が起きるか。まわりの国が、自由に動きはじめます。

朝鮮半島では高句麗・百済・新羅・加耶が争い、日本では巨大な古墳が次々に造られました。倭の王が中国へ使いを送っているのも、この時期です。

ここで年表を見てください。倭の王が使いを送った先は「南朝」です。中国が南北に割れていたから、南だけを相手にできた。統一されていたら、こうはいきません。

そしてこの時代、日本が半島から手に入れていた最大のものがでした。加耶は鉄の産地です。倭が加耶と深く結びついていたのは、そこに理由があります。

ついでに言うと、この時期の日本の古墳からはローマとペルシャのガラスまで出てきます。中国が割れていても、モノの道は切れていませんでした。

③ 7世紀 ── 唐が統一した衝撃

中国朝鮮半島日本
隋 → (統一)三国 → 統一新羅飛鳥 → 奈良

581年、隋が中国を再統一します。360年ぶりの統一です。そして唐がそれを引き継ぎ、巨大な帝国になります。

この一行が、東アジア全体を揺らします。

半島では、唐と結んだ新羅が百済と高句麗を滅ぼし、676年に統一を果たします。三国時代が終わりました。

日本はその途中、百済を助けようとして唐・新羅の連合軍と戦い、663年の白村江の戦いで大敗します。

そのあと日本がしたことを並べると、意図がはっきりします。

  • 北部九州から瀬戸内にかけて、防御の城を築く
  • 戸籍を作り、税の仕組みを整える
  • 唐にならった法律(律令)を導入する
  • 唐の都にならった条坊制の都を造る

負けた相手の仕組みを、そのまま取り入れています。飛鳥から奈良にかけての大改革は、唐という統一帝国が現れたことへの応答でした。

正倉院に西アジアの品々が納められるのも、この延長線上です。唐が中央アジアまで支配下に置いたことで、長安に集まったものが、そのまま奈良まで届いた。

④ 13世紀 ── 北からまとまった帝国が来る

中国朝鮮半島日本
(モンゴルが全土を統一)高麗(元に服属)鎌倉

元寇です。1274年と1281年、二度にわたって大陸から軍が押し寄せました。

ここでも、原因は左の列にあります。

モンゴルが中国全土をまとめ、元を建てた。そして高麗が元に服属させられた。日本へ向かってきたのは、元と高麗の連合軍です。

7世紀の白村江と、同じ構造です。中国が統一し、半島がその側につき、そして日本と衝突する。600年あいだをおいて、同じことが起きています。

違うのは、統一したのが北方民族だったことです。年表でこの行が茶色になっているのは、そのためです。

コラム:元寇の250年前にも、来ていた

元寇はよく知られていますが、その250年ほど前(平安時代)にも大陸から襲撃を受けています。

1019年の刀伊の入寇(といのにゅうこう)女真族(じょしんぞく)が対馬・壱岐を襲い、北九州にも上陸しました。

このときの年表を見てください。中国は宋と遼が並び立つ分裂期です。

大陸がまとまっていないときの襲撃は、国家の遠征ではなく、集団による襲撃の性格が強くなります。元寇との違いは、そこにあります。

ちなみにこの女真族は、のちにを建てて宋を南へ追い、さらに後の子孫がを建てて中国全土を支配します。年表の茶色い行に、二度出てくる人たちです。

4つを並べると、法則が出てくる

ここまでの4つを、同じ形で書き直してみます。

時期中国はすると周りは
前3〜前1世紀統一して外へ伸びた半島に郡ができ、日本に金属器が届く
5世紀割れていた半島の四国が争い、倭が自由に動く
7世紀また統一した半島が統一され、日本が国のかたちを作り直す
13世紀北方民族が統一した高麗が服属し、日本に軍が押し寄せる

並べると、こうなります。

中国がまとまると、周りは巻きこまれる。中国が割れると、周りは自由になる。

もちろん、これで全部が説明できるわけではありません。半島にも日本にも、それぞれの事情があります。

ただ、日本史の教科書だけを読んでいると原因の見えない出来事――なぜ急に律令を作ったのか、なぜあの時期に古墳が巨大化したのか――に、左の列を見ると説明の手がかりが現れます。

それが、3列を並べる理由です。

おまけ:5つめの接点は、16世紀

古代から離れますが、もうひとつ濃い接点があります。

中国朝鮮半島日本
明(統一)朝鮮安土桃山

1592年からの秀吉の朝鮮出兵です。明は朝鮮に援軍を送り、3か国がすべて関わりました。

このとき日本に連れてこられた朝鮮の陶工が、有田で日本初の磁器を焼きます。器の話としてたどると、この戦争は日本のやきものの歴史を書き換えた出来事でもありました。

おわりに

この表は、覚えるためのものではありません。思い出せないときに戻ってくる場所です。

「あれ、このころ中国は誰の時代だっけ」と思ったら、開いてください。それだけで十分に役目を果たします。

使い方は、3つ覚えておけば足ります。

  1. 縦に読む ── 統一と分裂の往復。色が変われば、かたちが変わった
  2. 横に読む ── 同じころ、隣の国は何をしていたか
  3. 左を見る ── 日本で大きな動きがあったら、中国の状態を確かめる

3つめが、いちばん効きます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵