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成宗(ソンジョン)|光の名君とドロドロ宮廷劇の二面性とは?

韓国時代劇によく登場する朝鮮第9代王・成宗(ソンジョン)。政治では国を安定させた「名君」として知られます。ところがその裏側では、宮廷を舞台にしたスキャンダルと悲劇が次々と起きていました。この記事は、成宗の時代を「光(政治の業績)」と「影(宮廷の悲劇)」の2軸で答え合わせする副読本です。

光と影、ひと目でわかる

光(政治の業績)影(宮廷の悲劇)
象徴最高法典『経国大典』を完成・発布廃妃尹氏の賜死/於于同事件
キーワード法・儒教・安定嫉妬・スキャンダル・次代への火種

成宗の時代を読み解くカギは、この構図です。

本人はとても穏やかな“優等生タイプ”。でも周りの女性たち(母や妻)が強烈だった。
成宗自身は真面目で学問好きの平和主義者。だからこそ、母や妻の激しさが宮廷トラブルの火種になっていきます。ここを押さえると、この後の悲劇がぐっと分かりやすくなります。

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成宗ってどんな王?

成宗は、あの世祖(首陽大君)の孫にあたります。父・懿敬世子(イギョンセジャ)が若くして亡くなっていたため、本来は王位継承の順番から外れた位置にいました。それでも、祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ)と韓明澮(ハン・ミョンフェ)ら勲旧派の思惑によって、わずか13歳(満12歳)で第9代王として即位します。

そして忘れてはいけないのが、成宗の実母・仁粋大妃(インスデビ)。ドラマ『インス大妃』の主人公としても有名です。聡明で儒教の教えを重んじる厳格な女性で、幼い我が子を立派な聖君に育てようと、裏から強力に後押ししました。

【豆知識】昌慶宮(チャンギョングン)は、祖母や母といった大妃たちのために成宗が増築した“親孝行の宮殿”です。

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【光】法で国を治める——『経国大典』の完成

成宗の最大の功績は、「暴力や権力ではなく、法律で国を治める仕組みを完成させた」ことです。

建国からまだ100年ほどの朝鮮は、法や制度が十分に整っていませんでした。そこで成宗は、先代の王たちが編纂を進めてきた最高法典『経国大典(キョングクテジョン)』を完成させ、全国に発布します。政治・経済・社会・刑罰のルールを網羅した、いわば国の背骨となる基本法典。これによって朝鮮王朝の土台がしっかり固まりました。

時代劇『オク氏夫人伝』『朝鮮弁護士』などに登場する外知部(ウェジブ)は、法を知らない庶民に代わって訴状を書く“朝鮮の弁護士”として、庶民の味方に描かれます。

ところが史実の成宗は、彼らを味方どころか“厄介者”と見なしました。訴訟をこじらせ、法の条文を勝手に解釈し、ときには王の文書まで偽造する——として、1478年(成宗9)に外知部を全面禁止。見つかれば一族もろとも辺境(咸鏡道)へ追放という厳罰でした。

法で国を固める「光」の裏で、非公認の代理人はむしろ切り捨てられた、というのが実際のところです。

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【影①】スキャンダル女王・於于同(オウドン)事件

国が「法と儒教道徳」を厳しく固めようとするほど、そこからはみ出す存在が目立ちます。その代表が、時代劇屈指の大スキャンダル「於于同事件」です。

於于同は、王族(泰江守)の妻でありながら離縁されたのち、身分を問わず多くの男性と関係を持ったとされる女性。女性に厳しい貞節が求められ始めた時代だけに、王族出身女性のスキャンダルは国家の秩序を揺るがす大問題とされました。

普段は死刑判決にも慎重な成宗が、この事件では綱常罪を強引に適用し、「見せしめ」として絞首刑を押し切ります。実は当初、廷臣たちは流刑が妥当と考えており、法的にはやり過ぎでした。しかも——相手の男たちの多くはほとんどお咎めなし。中には後に高官へ出世した者までいます。

女性だけが極刑という二重基準に、「理想の儒教国家」を掲げた成宗の“光と影”がくっきり表れた事件でした。

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【影②】最悪の悲劇——廃妃尹氏と仁粋大妃の衝突

そして成宗の時代で最も切なく、最もドロドロした悲劇が「廃妃尹氏(フェビ・ユンシ)」です。

最初の王妃・恭恵王后が病で早世すると、側室から新たに王妃に立てられたのが、後に「廃妃尹氏」と呼ばれる女性でした。成宗の愛を独占したい尹氏の強い嫉妬は、やがて他の側室や宮廷全体を巻き込む暗闘に発展します。

これに激怒したのが、儒教の秩序を何より重んじる母・仁粋大妃。二人の溝は深まり、ある日ついに、感情が高ぶった尹氏が成宗の顔に爪で傷をつけてしまいます。王の体を傷つけるのは重大な不敬罪。仁粋大妃の強い後押しもあり、尹氏は王妃の座を追われ(廃位)、最終的に毒薬を賜って命を落とします(賜死)。

その後——傷跡は息子・燕山君へ

成宗が命がけで築いた「法治国家」は、やがて燕山君による大粛清・甲子士禍(1504)で壊されていくのです

成宗の3人の王妃——次の時代への伏線

成宗の后妃は全部で12人。そのうち王妃の位についたのは、次の3人でした。

王妃出自成宗との子その後
恭恵王后 韓氏韓明澮の娘(勲旧派の名門)なし1474年、19歳で病死
廃妃 尹氏側室から昇格燕山君(第10代)1476年に王妃、嫉妬・不敬で1479年廃位→1482年賜死
貞顕王后 尹氏側室から昇格中宗(第11代)燕山君を養育。1530年まで長寿

継妃の2人が、次代を作る2人の王の母親——廃妃尹氏の子が暴君・燕山君、貞顕王后の子が、その燕山君を倒して即位する中宗です。

燕山君は3歳で実母・廃妃尹氏が廃位され、7歳で母を失いました。その後は貞顕王后に育てられ、実母の存在は伏せられていたため、成宗の墓誌を読むまで自分の出生の真実を知りませんでした。

なお、初妃・恭恵王后は韓明澮の娘。その姉は先代・睿宗の王妃(章順王后)でした。韓明澮は睿宗と成宗、2代の王に娘を嫁がせていたわけで、王妃の顔ぶれからも勲旧派の権勢が透けて見えます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵