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睿宗→成宗→燕山君|王様と私・暴君のシェフ・七日の王妃の時代が5分でわかる

叔父が甥から奪った王位は、孫の代でどうなったのか——。宦官たちの宮廷を描く『王様と私』。成宗からその息子・燕山君へと続くこの時代です。

はじめは賢明だった青年王・燕山君は、なぜ朝鮮王朝史上”最悪の暴君”と呼ばれるまでに変わってしまったのか。まずは系図で、人物のつながりを眺めてみましょう。

系図

朝鮮王朝系図(簡略版):第7代世祖〜第11代中宗 世祖から中宗までの血統と王位継承を、王と生母に絞って示した簡略系図 世祖期 成宗期 燕山君期 第7代 世祖 在位 1455〜1468 『王女の男』 長男 次男 懿敬世子 長男・早世 第8代 睿宗 在位 1468〜1469 在位1年余りで崩御 次男 第9代 成宗 在位 1469〜1494 『王様と私』 (宦官が主役) 12歳で即位 第2王妃 廃妃尹氏 成宗の側室→王妃 ▲ 廃位→賜薬(毒殺) 貞顕王后 第2王妃・中宗の母 長男 次男 第10代 燕山君 在位 1494〜1506 『王様と私』 『暴君のシェフ』 ▲ 中宗反正で廃位・配流 第11代 中宗 在位 1506〜1544 『チャングム』 『七日の王妃』 ⚡中宗反正(1506)
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時代背景 —— 操られた王と、暴君になった王

① 睿宗の急死と、12歳での成宗即位

世祖のクーデターを支えた最大の功臣・韓明澮(ハン・ミョンフェ)を覚えていますか。第8代・睿宗がわずか在位1年余りで急死すると、次に立ったのは12歳の少年・成宗でした。韓明澮の娘が王妃だったこともあり、しばらくは韓明澮ら”元老”が国政を握ります。

② 成宗の一手 —— 士林派を呼び、火種が生まれる

成長した成宗は、強くなりすぎた元老(勲旧派)を抑えるため、地方で儒学を学んだ新興の若手=士林派を中央に招き、王を諫める言論機関「三司(サムサ)」に送り込みます。

こうして「既得権益を守る勲旧派」と「理想を説く士林派」の対立が始まりました。

③ 燕山君の変貌

1494年に即位した燕山君は、はじめは国防や民の救済に励む賢明な王でした。ところが父・成宗のように三司の説教に耐える気質がなく、毎日のように「王たるもの、こうあるべきです!」と諫めてくる士林派を疎ましく思い始めます。そして、最後は暴政という形で臣下を恐怖で支配しました。

燕山君の時代といえば…

  • チャン・ノクス(張緑水)…燕山君の寵愛を独占した側室で、朝鮮王朝”三大悪女”の一人に数えられます。
  • ホン・ギルドン(洪吉同)…ちょうどこの頃、実録に登場する実在の盗賊。のちの小説で”義賊”として韓国の国民的ヒーローになりますが、実像はかなり違ったようです。

も有名ですね!

④ その後 —— 中宗反正、そして次の時代へ

1506年、暴政に耐えかねた臣下たちがクーデター(中宗反正)を起こし、燕山君は廃位・配流。2か月後に満30歳で亡くなります。代わって第11代・中宗が即位。

中宗の最初の王妃・端敬王后(チェギョン)は、勲旧派の名門・居昌慎氏の出身、父・慎守勤が中宗反正に加わらず処刑されたため、中宗の即位からわずか7日で王妃の座を追われます。その後、端敬王后は中宗のいる宮殿の方角へ向けてスカート(チマ)を岩に掛け、変わらぬ思いを伝えたという「チマ岩伝説」が語り継がれています。

中宗は、自らを王に擁立した勲旧派の力を抑えようと士林派を重用したものの、最後まで勲旧派を押さえ込むことはできませんでした。その後も明宗の時代までは、勲旧派が朝廷の実権を握り続けます

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タイムライン(時系列を追う)

1468年 第8代睿宗即位 世祖の次男。在位1年余りで崩御
1469年 第9代成宗即位 12歳で即位。韓明澮・申叔舟ら元老が後見。士林派を中央にスカウトし始める
1479年頃 廃妃尹氏 廃位 成宗の王妃・尹氏が廃位される
1482年 廃妃尹氏 賜薬 毒を賜って処刑。この事実は燕山君に長く隠される
1494年 燕山君即位 成宗の長男・廃妃尹氏の子として即位
1498年 ①戊午士禍 「勲旧派×燕山君」vs「士林派」。士林派を大量粛清(四大士禍の1つ目)
1500年頃 ホン・ギルドン 朝鮮王朝実録に盗賊「洪吉同」逮捕の記録
1504年 ②甲子士禍 母・廃妃尹氏の死を知った燕山君が約7か月の大粛清。韓明澮の剖棺斬屍も(四大士禍の2つ目)
1506年 中宗反正 朴元宗ら臣下がクーデター→燕山君廃位・配流。中宗即位。端敬王后も7日後に廃位
1506年 燕山君 死去 配流先で2か月後に30歳で死去
1519年→ ③己卯士禍・④乙巳士禍 四大士禍の残り2つは次の記事(中宗〜明宗)へ続く
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵