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加耶・百済・新羅・高句麗の見分け方──金の冠は「身分証明書」だった

博物館で朝鮮半島の展示室に入ると、ガラスケースの中に金色のものがずらりと並んでいます。冠、耳飾り、腰帯、靴。

正直に言うと、最初は全部同じに見えます。「昔の人は金が好きだったんだなあ」で通り過ぎてしまう。

でもこの金ぴかたちには、それぞれ国籍があります。高句麗、百済、新羅、加耶。4つの名札を見分けられるようになると、ケースの中が急に地図に変わります。

この記事では、専門知識なしで使える物差しを4つ紹介し、最後にひとつの墓をその物差しで実際に読んでみます。

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そもそも、なぜ王は金を身につけたのか

見分け方の前に、ひとつだけ。

4世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島の墓に金銀の装身具が急に増えます。これには理由があります。

この時期に「王」という存在が生まれたからです。

村の有力者でいるあいだは、隣の村より少しいい土器を持っていれば足りました。でも高句麗・百済・新羅・加耶が互いに削り合う時代になると、話が変わります。

「私はあなたたちとは違う人間である」

これを一目で示さなければならない。その道具が冠であり、耳飾りであり、金銅の靴でした。

加耶の金冠 三国時代5世紀 正面に立飾を設け歩揺を吊るす(東京国立博物館蔵)
冠。伝・韓国慶尚南道出土、三国時代(加耶)・5世紀。金製、重要美術品(東京国立博物館・筆者撮影)

加耶の冠です。輪の正面から、立飾りが1本すっと立ち上がっています。

解説にこうありました。加耶の冠は正面に立飾を設ける点が特徴で、周りに小さな金の板(歩揺/ほよう)を金糸でいくつもぶら下げている。揺れるたびに光を受けて、王にのみ許された光と音を放ちました——と。

光と、音。歩くたびに、金の板が触れ合ってしゃらしゃら鳴る。目だけでなく、耳でも王だと分かるようにできている。

ケースの中の金ぴかは、装飾品ではありません。身分証明書です。ここが腑に落ちると、キラキラした工芸品が一気に政治の話に見えてきます。

その前に:半島と日本の時代を並べておく

展示のキャプションには「三国時代」「統一新羅時代」といった半島の時代名が書かれています。これが変換できないと、ただの文字列になってしまいます。

先にこの表を頭に入れておいてください。

朝鮮半島だいたい同じ頃の日本
青銅器・初期鉄器時代弥生時代
楽浪郡(前108〜313年)弥生後期
三国時代・加耶古墳時代
統一新羅・高麗飛鳥〜鎌倉
朝鮮王朝室町〜江戸

これさえあれば、「統一新羅時代」と書いてあった瞬間に「ああ、日本は奈良時代か」と時間軸が動きます。

物差し① 冠──いちばん確実

まず冠から。これが一番はっきり分かれます。

冠のかたちひとことで
新羅「出」の字の形をした立飾りが3本+鹿の角の形が2本。勾玉をびっしり吊るす木と鹿
百済帽子に挿し込む薄い金板を、炎や唐草の形に透かし彫り。左右非対称炎と唐草
加耶正面に立飾り。歩揺をぶら下げる光と音
高句麗金銅の透かし彫りの冠飾り。ただし出土数が極端に少ないほぼ出ない

新羅の「木と鹿」はどこから来たか

新羅の金冠に立っているのは、樹木と鹿の角です。

これは北方の草原地帯、遊牧民のシャーマンがかぶっていた冠にさかのぼる、という説が有力です。世界樹と鹿は、天と地をつなぐシンボルでした。

つまり慶州の王の頭の上には、草原の記憶がのっている

高句麗のものだけ、なぜ少ないのか

高句麗は4つの中で最大の国でした。それなのに金工品の出土がいちばん少ない。不思議に思いませんか。

理由は墓の作りです。高句麗の墓は石室に入口がある構造で、後の時代に何度も開けられました。壁画は壁に描かれているので残ったけれど、中身は早い段階で持ち去られている。

残っていないことにも理由がある、というのは展示を見るときのいい視点です。

数少ない例が、これです。

鳳凰文飾金具 高句麗 三国時代5〜6世紀 金銅板の切り抜き(東京国立博物館蔵)
鳳凰文飾金具。伝・朝鮮平壌出土、三国時代(高句麗)・5〜6世紀。金銅製(東京国立博物館・筆者撮影)

薄い金銅板を切り抜いた、翼を広げる鳥。もとの用途は不明だと解説にあります。何かに取り付けられていたのだろう、というところまでしか分からない。

鳳凰は高句麗古墳の壁画にも登場する瑞鳥です。壁画では堂々と、実物ではこの小さな金具だけ。高句麗の展示は、だいたいこういう非対称になっています。

物差し② 耳飾り──太いか、細いか

次は耳飾り。見るポイントはひとつだけです。

耳にかける主環(メインの輪)が、太いか細いか

上段が太環式、下段が細環式。いずれも三国時代(新羅)・5〜6世紀の金製(東京国立博物館・筆者撮影)

上の段、輪がぷっくり太いのが分かるでしょうか。中が空洞になっています。下の段は針金のように細い。

  • 太環式……親指が通りそうな太い中空のリング → 新羅の傾向が強い
  • 細環式……針金のように細い → 百済・加耶・高句麗

解説によれば、耳につける環の部分が太い耳飾は新羅地域にしばしば確認されるもので、女性が着用したといわれます。金粒を貼り付けた繊細な文様や、金の細い線から編み上げた中間飾など、非常に豪華に作られていることから、新羅の王族が身に着けていたと考えられる、と。

そして加耶のものは、こうなります。

加耶の細環式耳飾。三国時代(加耶)・5〜6世紀、金製(東京国立博物館・筆者撮影)

解説にこうあります。加耶で製作された耳飾で、パーツのあいだを長い鎖でつなぐデザインは大加耶の特徴です。三国時代の朝鮮半島に興った国々では金製のアクセサリーの製作が流行しましたが、いずれも地域ごとに異なる独自のスタイルを有し、それぞれ別々に発展していきました——と。

垂れ下がる飾りにも差が出ます。

  • 新羅……ハート形(心葉形)の葉を何枚も連ねる
  • 加耶……中空の球や円錐を、長い鎖で吊るす
  • 百済……細い鎖に、控えめな心葉

まとめると、新羅は足し算、百済は引き算。この感覚は冠にも耳飾りにも通用します。

ただし、混ざることもある

獣面帯金具 加耶 三国時代5〜6世紀 百済の影響がみられる帯飾り(東京国立博物館蔵)
獣面帯金具。伝・韓国高霊出土、三国時代(加耶)・5〜6世紀。金銅製(東京国立博物館・筆者撮影)

帯を飾るための金具です。銅板に獣の顔を打ち出したあと、表面に金を張りつけている。つり上げた目を見開く獣の表情には、邪を払うかのような力強さがあります。

そして解説の最後の一行が大事です。本作は加耶地域の出土品ですが、デザインには百済の影響を受けており、両者の交流の存在を確認する上でも重要です——と。

そしてもう一点、こちらは博物館が結論を出していません。

左が細環式耳飾(韓国公州出土、三国時代・5〜6世紀、金製)(東京国立博物館・筆者撮影)

出土地は公州。百済が475年から都を置いた熊津です。当然、百済のものだろうと思って読むと、こう書いてあります。

百済地域で発見された耳飾だが、新羅に共通する特徴がみられる。円筒形とハート形のパーツを組み合わせる点は新羅の典型例と同じだが、円筒形パーツの上下が平たい点は新羅のものとは異なる。そのため——製作地ははっきりしておらず、検討の余地が残されています。

百済の都から出た、新羅風だけれど新羅とも言い切れない耳飾り。キャプションが「わかりません」で終わっているのは、けっこう珍しいことです。

物差しは目安です。出土地と様式が一致しないものが、実はいちばん面白い。その理由を考える手がかりになるからです。そして、専門家でも答えが出ていないものがある。

物差し③ 陶質土器の穴──眺めるだけでわかる

日本の須恵器と同じ、窯で焼いた硬い土器のことです。ここがいちばん実用的です。

金工品は数が少なく、展示替えで出ていないこともあります。でも土器はまず出ています。そして土器にも国籍が出るんです。

台付鉢 大加耶 三国時代6世紀初頭 脚の三角形の透窓(東京国立博物館蔵)
台付鉢。韓国出土、三国時代(加耶)・6世紀初頭。脚に三角形の穴が開いています(東京国立博物館・筆者撮影)

脚に、三角形の穴。

解説によれば、韓国慶尚北道高霊を本拠とする大加耶は、加耶諸国の盟主でした。本品は大加耶の土器で、胴にめぐらせた波形の櫛描き文様や、脚に開けられた三角形の透窓に、大加耶の特徴が現れています。有力者の墓に納められた副葬品であったと思われる、と。

そして新羅は、こうです。

台付長頸壺 新羅 三国時代6世紀中葉 一筆書きのように切り取られた透窓(東京国立博物館蔵)
台付長頸壺。三国時代(新羅)・6世紀中葉。脚の透窓の切り取り方に、工人の癖が出ています(東京国立博物館・筆者撮影)

解説がとてもいいことを書いています。台付長頸壺は新羅地域の古墳から発見される器の一つで、墓に納めるための器が人々のあいだで決まっていたことがわかります。そして——

脚部の透窓を一筆書きするように切り取った痕跡は、新羅の都・慶州の土器にしばしば確認され、工人たちの習慣的な作業動作がうかがえる特徴です。

穴の形が、工房の癖になっている。手つきが土に残っているわけです。

まとめると、こうなります。

  • 加耶……穴が上下一直線にそろう。大加耶は三角形の穴
  • 新羅……一列にそろえない。段ごとにずらすものが多い
  • 百済……穴がない、または小さく少ない

ただし、これは傾向です。実際のキャプションは、もっと慎重な書き方をしています。「上下一列は新羅には珍しく、加耶に多くみられる」というように、断定ではなく多い少ないで語る。

展示室で使うなら、こう覚えておくのが安全です。

穴がきれいに縦にそろっていたら、加耶を疑う。

やきものそのものの流れは、別の記事にまとめました。

高麗青磁と粉青沙器──日本の茶碗の「実家」をたずねる博物館の朝鮮半島コーナーで、金ぴかの装身具のケースを抜けると、やきものが始まります。 ここは時代の幅がとても広い。原三国時代から朝鮮王朝まで、1500年分が一続…

物差し④ 大刀と鉄──加耶は物量で勝負した

刀の柄の先が輪になっているものを、環頭大刀(かんとうたち)といいます。この輪の中に何が入っているかで系統が分かれます。

  • 輪が三重、または龍と鳳凰が絡む → 新羅系
  • 龍が一匹、鳳凰が一羽 → 百済・加耶系

そしてもうひとつ。加耶のケースで目立つのは、金より鉄です。

鉄製短甲 加耶 三国時代5世紀 三角形の鉄板を鋲で留めた甲冑(東京国立博物館蔵)
鉄製短甲。伝・韓国釜山市東莱出土、三国時代(加耶)・5世紀(東京国立博物館・筆者撮影)

金ぴかのケースを見たあとにこれが出てくると、空気が変わります。赤茶けて、ごつごつして、実用の匂いがする。

解説によれば、鉄製の短甲で、横長の板でフレームを作り、その間を三角形の板で埋めて鋲で固定しています。体に合わせたカーブを持つ立体構造で、高い金属加工の技術がうかがえます。

そして最後の一文です。同じ型式の甲は、日本の古墳文化にも見られます——と。

加耶は金の派手さで競う国ではなく、鉄の物量で存在感を出した勢力でした。その鉄と、鉄を加工する技術が日本に運ばれ、古墳時代の日本を変えていきます。

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ある王の墓を、4つの物差しで読む

ここまでの物差しを、実際に使ってみます。

東京国立博物館の東洋館5階10室に、この部屋で最も重い展示があります。

伝・慶尚南道昌寧郡出土の一括7点(重要文化財)。金銅透彫冠帽、金銅鳥翼形冠飾、金製太環式耳飾、金製釧、金銅臑当、金銅透彫飾履、単龍文環頭大刀。三国時代・6世紀のものです。

昌寧という土地

透彫冠帽 伝昌寧出土 三国時代6世紀 金銅製の透かし彫りの冠(東京国立博物館蔵)
透彫冠帽。伝・韓国慶尚南道昌寧出土、三国時代(新羅)・6世紀。金銅製、重要文化財(東京国立博物館・筆者撮影)

金銅を透かし彫りにした、帽子形の冠です。細い金の糸のような線が網目になり、そこに小さな円板が無数にぶら下がっています。

解説にこうあります。昌寧は韓国の南部、洛東江の中流にあり、三国時代5〜6世紀には「比斯伐(ピサボル)」と呼ばれ、強大な首長が君臨していました。昌寧古墳群で戦前に出土した金銅の装身具は、「比斯伐」の首長の権勢をものがたっています——と。

昌寧は、地理的には加耶の圏内です。ところが。

物差し②で読むと

太環式耳飾 伝昌寧出土 三国時代6世紀 歩揺を2段につけた金製の耳飾り(東京国立博物館蔵)
太環式耳飾。伝・韓国慶尚南道昌寧出土、三国時代(新羅)・6世紀。金製、重要文化財(東京国立博物館・筆者撮影)

「金製太環式耳飾」。

太環は新羅の特徴でした。加耶は細環だったはずです。

実物のキャプションにも「比斯伐(昌寧)の首長にふさわしく、工人たちの金工技術がうかがえる」という趣旨のことが書かれていました。太い耳環に細い環を介し、歩揺を2段につけた作りです。

物差し③で読むと──こちらは逆になる

ところが、同じ昌寧から出た土器を見ると、話が反転します。

高杯。韓国慶尚南道昌寧出土、三国時代(新羅)・5世紀中葉。太い脚に、透窓が上下一列に並びます(東京国立博物館・筆者撮影)

脚の穴を見てください。上下、まっすぐ一列に並んでいます。

解説がはっきり書いています。慶尚南道昌寧に5世紀ころ見られる高杯で、太い脚に細長い透窓を多数開けているが、透窓を上下一列に配置するのは新羅には珍しく、加耶に多くみられます。このころの昌寧は「比斯伐」と呼ばれ、新羅の勢力に属しながらも独自性を保っていました——と。

身につけるものは新羅式。土から作る器は加耶式

この食い違いは、たぶん偶然ではありません。

冠や耳飾りは、外から与えられるものです。新羅の王が地方の首長に授ける、序列の記号でもあった。いっぽう土器は、その土地の工人が、いつもの手つきで作るものです。

だから、政治は先に変わり、手は後から変わる。

そして、脚の防具

臑当 伝昌寧出土 三国時代6世紀 宝珠形の板に歩揺をつけた金銅製の甲冑付属具(東京国立博物館蔵)
臑当(すねあて)。伝・韓国慶尚南道昌寧出土、三国時代(新羅)・6世紀。金銅製、重要文化財(東京国立博物館・筆者撮影)

脛を守るための防具です。ただし、よく見てください。金色で、飾りがぶら下がっています。

解説によれば、宝珠形の板で膝を覆い、脛の過半は蝶番で可動させて脛を防護する金銅製の甲冑付属具。中軸線を盛り上げて表し、宝珠形の部分には歩揺を付けて飾る装飾性の高いもので、実戦用でなく儀礼に用いられたと推定されます——と。

さきほどの加耶の鉄製短甲と並べてみてください。

加耶の短甲昌寧の臑当
素材金銅
目的戦うため見せるため
飾りなし歩揺つき

同じ「身につける鉄」でも、まるで違う。片方は実用、片方は儀礼です。

読み解くと、どうなるか

まとめます。

  • 土地は加耶圏の昌寧
  • 耳飾りは太環=新羅式
  • 冠帽も臑当も、キャプションの時代表記は「新羅」
  • 臑当は歩揺つきの儀礼用。加耶の実用一辺倒の鉄とは別世界

つまりこれは、加耶の土地でありながら、新羅式の装いをまとった王の墓なんです。

加耶が新羅に飲み込まれていく、その途中の姿がこの一式に固まっている。金官加耶が衰退し、大加耶も562年に滅ぶ、その直前の時間です。

金工品が身分証明書だという話を思い出してください。この王は、どちら側の名刺を持つかを選んだのかもしれません。

知っておきたいこと

この昌寧の一括は、実業家・小倉武之助が植民地期の朝鮮で集めたコレクションの一部です。1981年に遺族から東京国立博物館に寄贈されました。

キャプションに「伝」とついているのは、正式な発掘によるものではなく、出土地が伝聞であることを示しています。

韓国側からは返還を求める声が続いており、昌寧出土品もその対象に挙げられています。

見る側としては、ここも込みで向き合う展示です。「どういう経緯でこれがここにあるのか」を知っているかどうかで、ケースの前に立ったときの気持ちがずいぶん変わります。

まとめ:4つの物差し

見るもの判定
木と鹿=新羅/炎と唐草=百済/正面の立飾りと歩揺=加耶
耳飾りの主環太い=新羅/細い=百済・加耶
土器の透かし穴そろえない=新羅/一直線=加耶/穴がない=百済
鉄の量甲冑・馬冑・鉄の延べ板が多い=加耶

ひとつだけ持っていくなら、土器の穴をおすすめします。金工品が展示替えで入れ替わっていても、土器はたいてい出ていますから。

そして、物差しが合わないものを見つけたら、そこで立ち止まってください。加耶の土地に新羅式の耳飾り、加耶の帯金具に百済のデザイン。ずれているものには、必ず理由があります。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵