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興福寺の阿修羅像とは?八部衆との関係と「悲しげな顔」の理由をわかりやすく解説

奈良の興福寺国宝館で、私は阿修羅像の前に立ちました。……立ったんです。でも、そのとき頭の中は「仏頭を見なきゃ!」でいっぱいでした。

帰ってきてから調べてみて、びっくり。阿修羅には、見る前に知っておけばよかった物語がぎっしり詰まっていました。

この記事は、これから国宝館へ行く人が「あのときの私」にならないための予習ノートです。

この記事の結論(3行)

  • 阿修羅は「八部衆」という8人チームのひとり
  • もとはインドのケンカっ早い神さま
  • あの悲しげな顔は、光明皇后が作らせた「お芝居の1場面」の表情
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興福寺の阿修羅像とは?──3行でわかるプロフィール

項目内容
いつ天平6年(734年)/奈良時代
誰が作らせた光明皇后(聖武天皇の妻)
なんのため亡くなった母・橘三千代(たちばなのみちよ)の供養
技法脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)
大きさ153.4cm(大人より少し小さいくらい)
姿三面六臂(顔が3つ、腕が6本)
今いる場所興福寺 国宝館

「脱活乾漆」は、粘土の型に麻布を漆で何枚も貼り重ねて、最後に中の粘土を抜く作り方です。中が空っぽなので、とても軽いのが特徴。この「軽さ」が、あとで阿修羅の命を救うことになります。

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八部衆とは?阿修羅は「8人チーム」のひとり

阿修羅は1体だけで作られたわけではありません。8体でひとつのチームです。

たとえるなら、阿修羅は人気グループの「センター」。センターばかりが有名になりましたが、ちゃんとメンバーが7人いるんです。

名前ひとことで
五部浄(ごぶじょう)象の冠をかぶる神。胸から上だけが残っている
沙羯羅(さから)竜の王さま。頭に蛇が巻きつく
鳩槃荼(くばんだ)髪が逆立つ鬼神
乾闥婆(けんだつば)獅子の冠をかぶる音楽の神
阿修羅(あしゅら)戦いの神。チームのセンター
迦楼羅(かるら)鳥の顔をした神
緊那羅(きんなら)額に角がある音楽の神
畢婆迦羅(ひばから)蛇の神

全員に共通するのは、もとはインドの神さまや精霊だったということ。仏教に取りこまれて、「仏の教えを守るガードマン役」になりました。

もとはケンカの神さま──インドのアスラから仏法の守護神へ

阿修羅のふるさとは、古代インドの神話です。インドの名前は「アスラ」。

アスラは、神々の王インドラ(仏教では帝釈天)に何度も何度も戦いを挑んだ、荒くれ者の神でした。「修羅場(しゅらば)」という言葉は、この阿修羅の戦いの場所が由来です。

ところがあるとき、阿修羅はお釈迦さまの教えを聞いて、戦いをやめます。そして仏教の守り神になりました。

だから、ふつうの阿修羅像は赤い顔、牙、逆立った髪、鎧という、こわい姿で作られます。興福寺の阿修羅のような「少年の顔」は、じつはかなりの例外なんです。

ついでにもうひとつ。八部衆のほかのメンバーはみんな鎧を着ていますが、阿修羅だけは鎧を着ていません。戦いの神なのに、です。

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なぜ悲しげな顔なの?──西金堂は「お芝居の1場面」だった

阿修羅たちは、もともと興福寺の西金堂(さいこんどう)というお堂に並んでいました。

並び方は、こんなイメージです。

西金堂の配置イメージ お釈迦さまの説法を聞く「お芝居の1場面」 釈迦如来 主役 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 弟子 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 畢婆迦羅 五部浄 沙羯羅 鳩槃荼 乾闥婆 釈迦如来(主役) 十大弟子(10人) 八部衆(8人) 内側で弟子が聞き入り、外側で八部衆が守る ※配置はイメージです(当時の正確な並びは記録が残っていません)
  • 真ん中に、主役のお釈迦さま
  • まわりに、お釈迦さまの弟子10人(十大弟子)
  • さらにそのまわりに、ガードマンの八部衆8人

これは、ただ仏像を並べたのではありません。あるお経の1場面を、舞台のように再現したものでした。

その場面とは、お釈迦さまが「懺悔(ざんげ)」、つまり心から反省することの大切さを説き、みんなが聞き入っているところ。

そう思って阿修羅を見ると、表情の意味が変わってきます。

  • 眉を寄せた顔は、自分のしてきたことを振り返っている顔
  • いちばん前の2本の手は、合掌

ずっとケンカばかりしてきた神さまが、教えを聞いて「ああ、自分は……」と反省している。あの悲しげな顔は、その一瞬をとらえたものだと考えられています。

ちょこっと解説

『金光明最勝王経』(こんこうみょうさいしょうおうきょう)
西金堂の「お芝居」のもとになったお経です。「このお経を大切にする国は、四天王が守ってくれる」という国のお守りの面と、「心から反省すれば罪は消える」という懺悔の面をあわせ持っています。光明皇后が深く信仰していました。

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光明皇后でつながる、阿修羅と正倉院

阿修羅を作らせた光明皇后は、正倉院の宝物を東大寺に納めた人でもあります。

年光明皇后がしたこと祈った相手
734年阿修羅たち八部衆を作らせる亡くなった母
756年聖武天皇の遺品を東大寺に納める(→正倉院宝物)亡くなった夫

母を亡くしたときは仏像で、夫を亡くしたときは宝物で。どちらも、大切な人を見送ったときの祈りから生まれています。

しかも、つながりはそれだけではありません。正倉院に残る古文書(正倉院文書)の中には、西金堂を作ったときの記録が残っていて、仏像を作った仏師「将軍万福(しょうぐんまんぷく)」の名前も見えます。

阿修羅像はどこで見られる?──興福寺国宝館

阿修羅がいた西金堂は、江戸時代の火事で焼けてしまい、今はありません。

それでも阿修羅が残ったのは、脱活乾漆で軽かったので、運び出せたからだといわれています。最初のプロフィールで書いた「軽さ」が、ここで命を救ったわけです。

今、阿修羅に会えるのは興福寺国宝館です。

興福寺国宝館の入口
  • 場所:近鉄奈良駅から歩いて5分ほど
  • 八部衆・十大弟子(6体が現存)が同じ館内に並ぶ
  • 館内は撮影できない
  • 拝観料・開館時間は、行く前に興福寺の公式サイトで確認を

おすすめ:秋なら正倉院展とセットで
毎年秋の約2週間、奈良国立博物館で「正倉院展」が開かれます。国宝館からは歩いて10分ほどです。

  • 国宝館の阿修羅=734年、光明皇后が母のために作らせたもの
  • 正倉院の宝物=756年、光明皇后が夫の遺品を納めたもの
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ちなみに、私のお目当てだった「仏頭」も同じ国宝館にいます。もとは飛鳥の山田寺の仏さまで、山田寺は持統天皇の祖父・蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)が建て始め、そして自害したお寺です。蘇我氏の人のお寺の仏さまが、鎌倉時代に藤原氏のお寺・興福寺へ運ばれてきたんです。飛鳥時代の歴史を知っていると、ちょっと不思議な縁に見えてきます。

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まとめ:阿修羅を見る前に知っておきたい3つのこと

  1. 阿修羅は八部衆という8人チームのセンター。まわりのメンバーも見よう
  2. もとはケンカの神。あの顔は「反省している瞬間」
  3. 作らせたのは光明皇后。母への祈りが阿修羅に、夫への祈りが正倉院につながる

次に国宝館へ行ったら、私はまず阿修羅の合掌している手を見ようと思います。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵