「キム・スンユとセリョンって、本当にいたの?」
「敬恵王女の夫、本当にあんな最期だったの?」
ドラマ『王女の男』(2011年・KBS)は、癸酉靖難(1453年)を「事件に関わった人たちの子どもの世代」から描いた作品です。
答えを先に言うと、事件と脇役の多くは実在、主役の恋は伝承をもとにした創作です。登場人物を一人ずつ、史実と照らし合わせてみましょう。
登場人物は実在?早見表
| 人物 | 判定 | 史実では |
|---|---|---|
| キム・スンユ | △ | 創作の人物。ただし元になった伝承がある(②で解説) |
| イ・セリョン | △ | 創作の人物。同じく伝承がモデル |
| 敬恵(キョンへ)王女 | ○ | 文宗の長女で、端宗の実の姉(①で解説) |
| チョン・ジョン(鄭悰) | ○ | 敬恵王女の本当の夫(①で解説) |
| シン・ミョン(申㴐) | ○ | 申叔舟の息子として実在(③で解説) |
| キム・スンギュ | ○ | 金宗瑞の長男。癸酉靖難で父とともに殺された |
| 金宗瑞(キム・ジョンソ) | ○ | 文宗に後を託された重臣。癸酉靖難で最初に殺された |
| 端宗 | ○ | 文宗の息子で、敬恵王女の弟。叔父に王位を奪われ、1457年に流刑先の寧越で亡くなる |
| 首陽大君(7代・世祖) | ○ | 世宗の次男。クーデターで甥の端宗から王位を奪った |
| 申叔舟(シン・スクチュ) | ○ | 世宗に仕えた学者。のちに世祖側につく |
| 韓明澮(ハン・ミョンフェ) | ○ | 世祖の策士として実在。ただし「清風館の主人」は創作 |
| クォン・ラム(権擥) | ○ | 首陽大君の腹心。親友の韓明澮を首陽に推薦し、ともに癸酉靖難を計画した |
| イ・ゲ(李塏) | ○ | 死六臣の一人。端宗の復位を計画して処刑された |
| 錦城大君 | ○ | 世宗の六男。端宗の復位を計画し、1457年に死を賜った |
| 安平大君 | ○ | 世宗の三男。癸酉靖難の直後に死を賜った |
| 温寧君 | △ | 太宗の息子(側室の子)として実在。首陽の側近という役回りは脚色と考えられる |
| イ・スン | △ | 名前は創作。世子のまま亡くなった世祖の長男・懿敬世子がモデルと考えられる |
| イ・セジョン | × | 史実では確認できない人物 |
| 李施愛の乱 | ○ | 1467年に北の咸吉道で起きた反乱。実際にあった |
ドラマでは「王女」と訳されていますが、朝鮮王朝では王の正室の娘を「公主(コンジュ)」、側室の娘を「翁主(オンジュ)」と呼び分けていました。敬恵王女は、史実では「敬恵公主」です。
① スンユとセリョン|元になった「駆け落ち伝承」
二人とも、史実の人物ではない
キム・スンユとイ・セリョンは、ドラマのために作られた人物です。脚本家自身も、セリョンのモデルについては実在したかどうかさえ確かではなかったと語っています。
でも、元になった話がある
モデルになったのは、民間に伝わる話です。
金宗瑞の息子(伝承によっては孫)と、世祖の娘が愛し合った
首陽大君に殺された金宗瑞の家の男と、首陽大君の娘。敵同士の家の子どもたちの恋、まさに「朝鮮版ロミオとジュリエット」です。ドラマはこの伝承を骨組みにして、二人の物語をふくらませました。
世祖の娘として記録に残るのは、懿淑公主(ウィスク公主)です。懿淑公主は鄭麟趾(チョン・インジ)の息子と結婚しており、伝承の娘とは別人です。伝承の娘は、記録には名前の出てこない人物です。
スンユの兄キム・スンギュは実在
ドラマでスンユの兄として登場するキム・スンギュ(金承珪)は、金宗瑞の長男として実在しました。1453年の癸酉靖難の夜、父とともに首陽大君の一派に襲われ、命を落としています。
② 敬恵王女とチョン・ジョン|過酷な運命の中にあった、ドラマにはない救い
父・文宗に愛された娘
敬恵公主は、文宗の長女で、端宗のただ一人の姉です。母の顕徳王后は端宗を産んだ直後に亡くなったため、幼い弟を見守る立場でした。
父の文宗はこの娘をとても可愛がり、決まりを破ってまで屋敷の敷地を広げてやったと伝わります。夫の鄭悰(チョン・ジョン)も、文宗が自ら選んだ婿でした。
ドラマでは、婚礼の日に文宗が倒れます。でも実際に文宗が亡くなったのは、結婚から約2年後です。
むしろ結婚の1か月後に亡くなったのは、祖父の世宗のほうでした。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1450年1月 | 敬恵公主と鄭悰が結婚 |
| 1450年2月 | 世宗が亡くなり、文宗が王になる |
| 1452年5月 | 文宗が亡くなり、端宗が王になる |
流刑先で生まれた息子
首陽大君が権力を握ると、端宗の義兄である鄭悰(チョン・ジョン)は危険人物として流刑にされます。敬恵公主は夫についていき、1456年、流刑先の光州で息子の鄭眉壽(チョン・ミス)が生まれました。
ドラマの鄭悰は、わが子の顔を見ることなく処刑されます。でも実際は、流刑先で5年ほど、家族一緒に暮らしていました。過酷な運命の中で、これはドラマにはない、ただひとつの救いだったのかもしれません。
そして1461年、鄭悰は僧侶たちとともに反乱を企てたとして罪に問われ、処刑されました(手足を車で引き裂く「車裂きの刑」だったと伝える記録が多くあります)。
夫と弟を失ったあと
| 時期 | 敬恵公主に起きたこと |
|---|---|
| 1457年 | 弟・端宗が寧越で亡くなる |
| 1461年 | 夫・鄭悰が処刑される |
| その後 | 官の奴婢に落とされたと伝わる。のちに出家 |
| 1474年 | 亡くなる |
一方で、世祖の妻・貞熹王后は、敬恵公主の息子・鄭眉壽(チョン・ミス)を引き取り、膝の上で育てるほど可愛がりました。世祖も鄭眉壽を宮中で暮らさせています。
鄭眉壽はのちに大臣クラスまで出世し、1506年、燕山君を追放した中宗反正で功臣になりました。
③ シン・ミョン|史実と同じ最期
申叔舟の息子として実在
シン・ミョン(申㴐)は、申叔舟の息子として実在した人物です。
李施愛の乱で命を落とした
1467年、北の辺境・咸吉道(今の咸鏡道)で、李施愛(イ・シエ)が反乱を起こしました。この乱は約3か月続きました。
このとき、咸吉道の観察使(地方の長官)として赴任していたシン・ミョンは、反乱軍に殺されています。
この乱で反乱軍は「申叔舟や韓明澮も反乱に通じている」と訴え、父の申叔舟は疑われて宮中に閉じ込められていました。息子のシン・ミョンが殺されたのは、ちょうどその頃です。
「乱の裏でスンユが動いていた」という部分は創作されたものでが、ドラマでも、シン・ミョンは李施愛の乱で命を落とします。ここは史実どおりです。
④ 首陽大君に立ち向かった人たち|安平大君・錦城大君・死六臣
ドラマでスンユたちとともに首陽大君に立ち向かう人たちも、みな実在の人物です。端宗の立場が一段ずつ落ちていく流れと並べると、よく分かります。
| 年 | 端宗の立場 | 首陽大君に立ち向かった人たち |
|---|---|---|
| 1452年 | 王(父・文宗の死で即位) | ― |
| 1453年 | 王(実権は首陽大君へ) | 癸酉靖難。金宗瑞が殺され、世宗の三男・安平大君は島へ流されて死を賜る |
| 1455年 | 上王(首陽大君に王位を譲る) | 世宗の六男・錦城大君、敬恵公主の夫・鄭悰がそれぞれ流刑に |
| 1456年 | 上王 | 死六臣(ドラマの師匠イ・ゲもその一人)が端宗の復位を計画。発覚して処刑 |
| 1457年6月 | 魯山君に格下げ、寧越へ流刑 | ― |
| 1457年秋 | 庶人に格下げ。10月に寧越で亡くなる | 錦城大君が流刑先の順興で復位を計画。発覚して死を賜る |
| 1461年 | ― | 鄭悰が別件の反乱計画の罪で処刑 |
ドラマでは、鄭悰と錦城大君が手を組んで失敗します。でも実際の錦城大君の計画(1457年)の相手は、順興の府使(地方長官)・李甫欽でした。鄭悰が処刑されたのは4年後の別件です。ドラマは、別々の事件を一つの物語にまとめています。
実はこの人たちの多くは、一枚の絵でつながっています。
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寄り道:イ・スンのモデルは?
ドラマでセリョンの弟として登場するイ・スンは、名前は創作です。ただ、世子(跡継ぎ)になり、若くして亡くなる点から、世祖の長男・懿敬世子(ウィギョン世子)がモデルと考えられます。
懿敬世子は1457年、世子のまま若くして亡くなりました。端宗が寧越で亡くなったのと同じ年です。王位を奪った世祖は、同じ年に自分の跡継ぎも失ったことになります。
この偶然から生まれたのが「顕徳王后の祟り」の伝説です。端宗の母・顕徳王后が世祖の夢に現れ、「私の息子を殺したお前の子も連れていく」と唾を吐いた。その唾がかかったところに腫れ物ができた、というものです。
ドラマで世祖が晩年に体の痒みに苦しむのは、この伝説がもとになっています。実際に世祖が晩年に重い病に苦しみ、温泉に通って治療したことは記録に残っていますが、祟りの話は野史に伝わる伝説です。
ドラマとは違い、実際の懿敬世子には妻(のちの仁粋大妃)と子どもたちがいました。その次男が、のちの第9代王・成宗です。
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まとめ|史実の骨組みに、創作の恋を乗せたドラマ
『王女の男』は、事件も、脇役の運命も、ほとんどが史実です。そこに、伝承をもとにした二人の恋を一本通したのが、このドラマの作り方でした。
史実を知ってから見直すと、「この人は本当にこうなったんだ」という場面が、ずっと重く感じられるはずです。
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