ハングルを生んだ世宗大王の黄金時代から、甥を殺して王位を奪った叔父・世祖のクーデターまで。かつて同じ机で学び、理想を語り合った仲間たちは、なぜ敵味方へと分かれてしまったのか。朝鮮王朝初期最大の転換点でした。
系図
時代背景——3分でわかる、黄金から悲劇へ
① 黄金時代——世宗大王とハングル
父・太宗が「力で国をまとめた王」なら、世宗は「知恵で国を豊かにした王」でした。
優秀な学者を集めた集賢殿(チッピョンジョン)を設立し、身分の低い出身だった天才発明家チャン・ヨンシルを破格の待遇で抜擢。
そして1443年、朝鮮固有の文字ハングルが生まれます。この創製の舞台裏を描いたのが、ドラマ『根の深い木』です。
② 暗転——幼い王・端宗と、叔父のクーデター
1450年に世宗が世を去ると、長男・文宗が即位しますが、病弱でわずか2年で崩御。残されたのは、満11歳の幼い王・端宗でした。
この幼い王に牙を剥いたのが、叔父の首陽大君(スヤンデグン)です。1453年、首陽大君は参謀・韓明澮(ハン・ミョンフェ)らとともにクーデター「癸酉靖難(ケユジョンナン)」を起こし、端宗を守ろうとした重臣たちを次々と粛清。
このクーデターを背景に、世祖の娘と忠臣の息子の悲恋を描いたのが、ドラマ『王女の男』です。
1455年、端宗を廃位して自ら王位に就きます——第7代・世祖の誕生です。廃位された端宗は、16歳で賜死という悲しい最期を迎えました。
③ 引き裂かれた仲間——死六臣と、一枚の絵
かつて世宗のもと集賢殿でハングルを共に作った学者たちは、命を懸けて端宗の復位を企て処刑された「死六臣(サユクシン)」と、首陽大君側について生き延びた者とに分かれました。
同じ夢を語り合った仲間たちが、数年後には毒殺・暗殺・処刑・裏切りという運命をたどることになります。
④ 功罪の王・世祖——その後
「甥を殺して王位を奪った簒奪者」として批判される世祖ですが、在位中は強力な王権のもとで行政改革を進め、国をまとめた面もあります。功と罪、その両方を併せ持つ王でした。
その強い王権は、次の世代へ新たな火種を残しました。世祖の長男・懿敬世子は即位を待たず若くして亡くなり、王位は短命の弟・睿宗(イェジョン)を経て、幼い孫・成宗(ソンジョン)へと受け継がれます。
この幼い王を擁立したのが、世祖の簒奪を支えた古参の功臣たち――勲旧派(フングパ)でした。彼らは次第に権勢を強め、政治を思うままに動かしていきます。その積み重なったひずみは、やがて朝鮮王朝屈指の暴君・燕山君(ヨンサングン)の時代へとつながっていくのです。
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タイムライン(時系列を追う)
| 1418年 | 世宗即位 太宗の生前譲位により第4代国王へ |
| 1420年 | 集賢殿 設立 王立シンクタンク。成三問・申叔舟・鄭麟趾らが集う |
| 1420年代〜 | チャン・ヨンシル 登用 測雨器・渾天儀・自動物時計など発明 |
| 1443年 | ハングル創製 朝鮮固有の文字が完成。翌1446年に「訓民正音」として頒布 |
| 1447年頃 | 夢遊桃源図 安平大君の依頼で画家・安堅が制作。金宗瑞・朴彭年・申叔舟らが感想を添える |
| 1450年 | 世宗 崩御(享年53歳) 第5代・文宗が即位 |
| 1452年 | 文宗 崩御(在位2年・享年39歳) 11歳の端宗が即位 |
| 1453年 | 癸酉靖難 首陽大君が韓明澮を参謀にクーデター。金宗瑞ら忠臣を粛清 |
| 1455年 | 端宗 廃位・世祖 即位 第7代国王として首陽大君が即位。集賢殿を廃止 |
| 1456年 | 死六臣の乱 成三問ら6人が端宗復位を企て失敗・処刑される |
| 1457年 | 端宗 賜死(享年17歳) 流刑地で毒を賜り死去 |
| 1468年 | 世祖 崩御(享年51歳) 第8代・睿宗へ。韓明澮は引き続き権力を握る |
