はじめに
天皇の系譜や事績について、基本的に『日本書紀』に書かれている内容をもとにまとめています
考古学の発見や他の歴史資料とちがう点は、できるだけ注釈をつけて紹介
▲👤天皇の名前
諱(いみな):天皇が生きているときの本名(神聖なのでふだん呼ばない)
諡号(しごう): 亡くなったあと付けるおくり名
→ 漢風諡号 :「○○天皇」形式(漢字2字+天皇)
→ 和風諡号 : 例「神日本磐余彦天皇」のような長い和語名
💡 日本書紀が完成した720年には漢風諡号は無い(760年ごろ淡海三船がまとめて付けたと言われている)・和風諡号が記録に確実に現れるのは持統天皇(703年没)以降
*それ以前の天皇の名前が、諡号か本名(諱)かはっきりしないことがあります
▲ 📚「異伝」について本文:皇后は〇〇の娘とする。
一書第一:△△の娘とする。
一書第二:□□の娘とする。
→ このように複数の別バージョンが書き添えられている
→ 豪族・土地の神・伝承にも気を配った結果(根回しの記録)
▲📘『新撰姓氏録』
→ 平安初期にまとめられた氏族リストで、古代豪族の由来や分類を知る重要な資料
👉 詳しくは 参照用ページ(史料のまとめ)/新撰姓氏録
基本情報
在位期間 | 前392年~前291年(享年137歳) 『古事記』123歳 |
皇居 | 室秋津島宮(むろのあきつしまのみや:奈良県御所市) |
陵 | 玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ:奈良県御所市) |
和風諡号 | 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと) |
父 | 孝昭天皇(第二皇子) |
母 | ✅世襲足媛(よそたらしひめ) |
皇后 | ✅押媛(おしひめ) → 天足彦国押人命(兄)の娘=姪 |
系譜
✅ 母:世襲足媛(よそたらしひめ)
→ 兄:瀛津世襲(おきつよそ)は「尾張氏」の祖
・・・ 尾張氏は、天孫系のアメノホアカリを始祖に持つ名門の「海人系地方豪族」
→ 子:天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと:和珥氏たちの始祖)
・・・天足彦国押人命の子:押媛(おしひめ)は皇后、第7代孝霊天皇の母
→ 子:日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと:第6代孝安天皇)
📚「異伝」
▲磯城縣主葉江の娘の渟名城津媛(ぬなきつひめ)
▲倭国の豊秋狹太媛の娘の大井媛(おおいひめ)
✅ 皇后:押媛(おしひめ:姪)
→ 父:天足彦国押人命(同母兄:和珥氏の祖)
→ 子:大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと:第7代孝霊天皇)
📚「異伝」
▲磯城縣主葉江の娘の長媛(ながひめ)
▲十市縣主五十坂彦の娘の五十坂媛(いさかひめ)
5孝昭
├天足彦国押人命(和珥氏の祖)
│ └押媛(6孝安の皇后・7孝霊の母)
└6孝安
└7孝霊
天皇の兄が「外戚」になるパターン
🔍 ひとこと:磯城県主(しきあがたぬし)
磯城郡(現在の奈良県中部)を治めた地方豪族の首長
初期天皇の妃を多数輩出した「外戚」としてたびたび(📚「異伝」)に登場している
🔍 ひとこと:天足彦国押人命
→ 天足彦国押人命は「和珥氏」の祖とされる
→ 和珥氏は、奈良県天理市あたりを本拠とする「中央豪族」
・・・出自については朝鮮系鍛冶集団や海人族などさまざまの説がある
→ 和珥氏からのちに派生したのが、春日氏・小野氏など
▲ 春日氏は、蘇我氏の台頭期に衰退(春日大社がらみで藤原氏となにかありそうな気が❓🤔)
▲ 小野氏は、文化系エリート氏族(後の中央官僚として栄える)
→ 小野妹子や小野篁など有名人が多数
🔍 ひとこと:アメノホアカリ(天火明命)
具体的な活躍シーンや神話的エピソードがほぼ無い神
→ 系譜は文献によってバラバラ(ニニギの兄や子、ニギハヤヒの別名など)
→ 尾張氏・海部氏・丹波氏などの祖神とされる
📘『新撰姓氏録』ではアメノホアカリ(天火明命)の子孫を「天孫」
→ 後世に「天孫の系譜にしたい」という意図で整理された❓🤔
事績
🌟 即位元年(太歲己丑年1月27日):即位
🌟 即位2年10月:都を室(奈良県御所市室)の秋津嶋宮(あきつしまのみや)に定める
🌟 即位26年2月:押媛(おしひめ)を皇后とした
🌟 即位76年1月:大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)を立太子
🌟 即位102年1月:崩御
🕓 更新日:2025年7月3日
個人的な備忘録として、調べながら書いているブログです
書き足し、修正、アップデートを重ねています