はじめに
天皇の系譜や事績について、基本的に『日本書紀』に書かれている内容をもとにまとめています
考古学の発見や他の歴史資料とちがう点は、できるだけ注釈をつけて紹介
▲👤天皇の名前
諱(いみな):天皇が生きているときの本名(神聖なのでふだん呼ばない)
諡号(しごう): 亡くなったあと付けるおくり名
→ 漢風諡号 :「○○天皇」形式(漢字2字+天皇)
→ 和風諡号 : 例「神日本磐余彦天皇」のような長い和語名
💡 日本書紀が完成した720年には漢風諡号は無い(760年ごろ淡海三船がまとめて付けたと言われている)・和風諡号が記録に確実に現れるのは持統天皇(703年没)以降
*それ以前の天皇の名前が、諡号か本名(諱)かはっきりしないことがあります
▲ 📚「異伝」について本文:皇后は〇〇の娘とする。
一書第一:△△の娘とする。
一書第二:□□の娘とする。
→ このように複数の別バージョンが書き添えられている
→ 豪族・土地の神・伝承にも気を配った結果(根回しの記録)
基本情報
在位期間 | 前214年~前158年(享年116歳) 『古事記』57歳 |
皇居 | 軽境原宮(かるのさかいはらのみや:奈良県橿原市) |
陵 | 剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ:奈良県橿原市) |
和風諡号 | 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと) |
父 | 孝霊天皇 |
母 | ✅細媛命(くわしひめのみこと) |
皇后 | ✅欝色謎命(うつしこめのみこと) |
妃 | ✅伊香色謎命(いかがしこめのみこと) |
妃 | ✅埴安媛(はにやすひめ) |
系譜
✅ 母:細媛命(くわしひめのみこと)
→ 父:磯城県主の大目
→ 子:大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと:第8代孝元天皇)
📚「異伝」
▲春日千乳早山香媛(かすがのちちはやまわかひめ)
▲十市縣主たちの祖先の娘の眞舌媛(ましたひめ)
✅ 皇后:欝色謎命(うつしこめのみこと)
→ 兄:欝色雄命(うつしこおのみこと)は「穂積氏」の祖(ニギハヤヒ系の天孫氏族)
・・・穂積氏は奈良の山辺郡・十市郡本拠とした豪族(新羅征討、壬申の乱などに関わる)
→ 子:大彦命(おおひこのみこと)は、四道将軍(北陸)の一人
・・・阿倍臣、膳臣、阿閉臣、狭狭城山君、筑紫国造、越国造、伊賀臣ら7氏の始祖
・・・大彦命の娘:御間城姫(みまきひめは)は、第10代崇神天皇の皇后
・・・大彦命の子:武渟川別(たけぬなかわわけ:阿倍氏の祖)は、崇神朝では四道将軍(東海道)の一人・垂仁朝では五大夫の1人!!
→ 子:稚日本根子彦大日々天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと:第9代開化天皇)
→ 子:倭迹々姫命(やまとととひめのみこと)
📚「異伝」子:少彦男心命(すくなひこおこころのみこと:古事記では次男)
✅ 妃:伊香色謎命(いかがしこめ)
→ 兄:伊香色雄命(いかがしこおのみこと)は、「物部氏」の祖(ニギハヤヒ系の天孫氏族)
→ 子:彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこ:武内宿禰の祖父)
・・・最初に第8代孝元天皇の妃となり彦太忍信命を産む
・・・武内宿禰は5代の天皇(景行・成務・仲哀・応神・仁徳)に仕えた伝説の忠臣
→ 子:御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと:第10代崇神天皇)
・・・のちに、第9代開化天皇の皇后となり、第10代崇神天皇も出産
🔍 ひとこと:ニギハヤヒ(饒速日命)
ニギハヤヒは、神武より先に大和に降りたもう一人の天孫(高天原から地上に降りた神)
→ 長髄彦の妹とニギハヤヒの子供:ウマシマジが、物部氏・穂積氏・采女氏などの祖とされる
→ 長髄彦(ながすねひこ)は、大和(奈良〜大阪北東部)を治めていた土着の豪族で、神武天皇の東征軍と戦った人物
🔍 ひとこと:四道将軍とは
→ 第10代崇神天皇の時代に、国の四方(北陸・東海・西国・丹波)へ送り出した4人の将軍
→ 地方を平定し、勢力を一気に広げるためのチーム
→ 四道将軍が派遣された四つの地域は、前方後円墳が最も早く出現したエリアと重なる
✅ 妃:埴安媛(はにやすひめ)は、河内の青玉繋の娘
→ 子:武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)は、第10代崇神天皇の時代に反乱を起こし、大彦命らに討伐される
事績
🌟 即位元年(太歲丁亥年1月14日):即位
🌟 即位4年3月:都を軽(奈良県橿原市大軽町?)の境原宮(さかいはらのみや)に定める
🌟 即位7年2月:欝色謎命(うつしこめのみこと)を皇后とした
🌟 即位22年1月:稚日本根子彦大日々天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)を立太子
🌟 即位57年9月:崩御
🕓 更新日:2025年7月3日
個人的な備忘録として、調べながら書いているブログです
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